『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』

息子・克則と追った夢 野村克也が尽力して設立された“港東ムース”

長谷川晶一
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野村克則(右から2人目)は1996年にヤクルト入りし、父・克也のもとでプレーした 【写真は共同】

 野村克也がプロ野球界で名将と呼ばれる以前、中学野球で指揮を執っていたことをどれくらいの人がご存じだろうか? そのチーム「港東ムース」はとてつもなく強く、未だ破られていない全国4連覇を果たしている。野村は中学生をどのように導いたのか? そこには、ID野球の原型ともいえる教えがあった――。『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』から、一部抜粋して公開します。

名選手の子として生まれた野村克則

 小学1年生の頃に父─野村克也─が現役を引退した。
 当時、7歳だった野村克則は一緒に住んでいた従兄弟の影響で、夢中になってボール遊びに興じていた。プロ野球中継では巨人戦を中心に見ていた。いや、巨人戦だけが全国中継で日々放送されていたから、当時の子どもの多くはジャイアンツファンだった。

 克則が好きだったのは中畑清だった。「絶好調男」「ヤッターマン」の異名を持ち、明るいキャラクターで喜怒哀楽を前面に押し出したプレースタイルに魅了されたのだ。
(僕も中畑選手のようになりたい……)
 そんな思いを胸に、小学3年生の頃に、自宅近くの目黒西リトルに入団した。この頃、克則の夢は「背番号《19》をつけてプレーすること」だった。
 背番号《19》──。

 言わずと知れた、現役時代の野村克也の背番号だ。中畑ファンでありながらも、父のことを尊敬していた。入団早々、克則は幼い希望を監督に告げる。その言葉を聞いた監督は諭すように言った。

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著者プロフィール

1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(角川新書)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

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