息子・克則と追った夢 野村克也が尽力して設立された“港東ムース”
野村克則(右から2人目)は1996年にヤクルト入りし、父・克也のもとでプレーした 【写真は共同】
名選手の子として生まれた野村克則
当時、7歳だった野村克則は一緒に住んでいた従兄弟の影響で、夢中になってボール遊びに興じていた。プロ野球中継では巨人戦を中心に見ていた。いや、巨人戦だけが全国中継で日々放送されていたから、当時の子どもの多くはジャイアンツファンだった。
克則が好きだったのは中畑清だった。「絶好調男」「ヤッターマン」の異名を持ち、明るいキャラクターで喜怒哀楽を前面に押し出したプレースタイルに魅了されたのだ。
(僕も中畑選手のようになりたい……)
そんな思いを胸に、小学3年生の頃に、自宅近くの目黒西リトルに入団した。この頃、克則の夢は「背番号《19》をつけてプレーすること」だった。
背番号《19》──。
言わずと知れた、現役時代の野村克也の背番号だ。中畑ファンでありながらも、父のことを尊敬していた。入団早々、克則は幼い希望を監督に告げる。その言葉を聞いた監督は諭すように言った。
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