『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』

中学生にも発揮されていた野村克也の手腕 ヤクルト時代を想起させるコンバートを成功させていた

長谷川晶一
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【写真提供:田中洋平】

 野村克也がプロ野球界で名将と呼ばれる以前、中学野球で指揮を執っていたことをどれくらいの人がご存じだろうか? そのチーム「港東ムース」はとてつもなく強く、未だ破られていない全国4連覇を果たしている。野村は中学生をどのように導いたのか? そこには、ID野球の原型ともいえる教えがあった――。『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』から、一部抜粋して公開します。

飯田哲也と髙津臣吾の「原点」

 1989(平成元)年10月15日──。
 日本リトルシニア野球関東連盟による秋季大会が開幕した。田中洋平がキャプテンとなって臨む初めての関東大会であり、翌年からのヤクルトスワローズ監督就任が決まっていた野村克也が「港東ムース監督」として臨む最後の大会でもあった。
「野村監督とは、僕らが卒業するまで一緒に野球をしたかったです。でも、この大会を最後にヤクルトの監督になることは決まっていたから、〝絶対に野村監督を胴上げしてお別れをするんだ〟という思いはみんなが持っていたと思います」(洋平)

 初戦の上尾シニア戦は木村義昭の先制タイムリーなどで3対0と快勝する。先発した藤森則夫は5本のヒットを喫するものの堂々たる完封劇を披露した。相手チームの走塁ミスがあったとはいえ、まずは順調な滑り出しだった。試合後に野村は言った。
「今日は相手の暴走に助けられた。ミスをした方が負けるんだ」

 続く千葉北シニア戦は港東ムース打線が爆発して4回コールド、11対1で勝利した。
 2回表には木村、藤森、そして神尾誠の連打で2点を奪って先制すると、なおも無死二、三塁の場面で八番・平井祐二、九番・津坂崇が連続でスクイズを決めた。
 さらに、3回には2点、4回には5点を奪って勝負を決めた。

 チームが誕生して1年7カ月が経過していた。キャプテンの洋平、エースの藤森バッテリーを中心とした中学2年生たちは中学入学と同時に「野村の教え」を受けていた。
「あの野村」が監督を務めるということで、翌年には1年生部員が殺到し、すでに70名を超える大所帯となっていた。1年生には、後に堀越高校、亜細亜大学で活躍する野口晃生、さらに横浜高校から横浜ベイスターズに入団することになる紀田彰一もいた。
 選手層も厚くなり、ムースは着々と強豪チームへの道を歩んでいた。

 この間、野村は興味深い、2例の「コンバート」を敢行している。
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著者プロフィール

1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(角川新書)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

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