『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』

野村克也が貫いた「指導哲学」 息子・克則と向き合い、中学球児を指導した日々

長谷川晶一
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ヤクルトを3度の日本一に導いた野村監督。その指導力はどのようにして培われたのか? 【写真は共同】

 野村克也がプロ野球界で名将と呼ばれる以前、中学野球で指揮を執っていたことをどれくらいの人がご存じだろうか? そのチーム「港東ムース」はとてつもなく強く、未だ破られていない全国4連覇を果たしている。野村は中学生をどのように導いたのか? そこには、ID野球の原型ともいえる教えがあった――。『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』から、一部抜粋して公開します。

「野村スコープ」から「ID野球」へ

 1980(昭和55)年シーズン限りで、27年に及んだ現役生活に別れを告げた野村克也が、次に選んだのが野球評論家という道だった。

 81年から82年まではTBSテレビとTBSラジオの専属解説者となり、83年から新天地として選んだのがテレビ朝日だ。野村の解説は「ノムさんのクール解説」と命名され、テレビ朝日の解説者時代は83年から89年まで続いた。この間、野村はプロ野球中継のテレビ解説における「革命」を興している。
 ストライクゾーンを九分割して、バッテリーの配球の狙いを可視化する「野村スコープ」を導入したのだ。野村は「ここに投げれば打たれますよ」「ここにカーブを投げれば三振です」と、画面上に表示しながら次のボールを予測し、次々と的中させていく。

「画面が見づらくなるのでは?」という中継プロデューサーの懸念をよそに、視聴者からは大きな反響を呼んだ。プロ野球を「結果で見る」のではなく、「予測して見る」という新しい見方を提示したからだ。

 精度の高い「予測」のためには、きちんとした根拠が必要となる。野村の解説はその根拠を視聴者にわかりやすく提示するものだった。
 すべての配球に根拠があり、正しい根拠があれば正確な予測も可能となる。それは、ヤクルト監督就任時に掲げた「ID(データ重視)野球」の原型と呼べるものでもあった。

 「野村スコープ」から「ID野球」への過渡期にあたるのが、この評論家時代だった。そして、野村がもたらした「野球の見方」は日本人の野球偏差値を大きく向上させることとなった。

 さらにこの間、野村は視聴者だけではなく、「一般の中学生」にも、後の「ID野球」を伝授している。
 それが、港東ムースでの1年8カ月なのだ――。
 
 南海ホークスでの監督経験はあったものの、「少年」を指導するのは初めてのことだった。しかし、息子・克則がリトルリーグに在籍していたことで、その指導者たちを目の当たりにしていた。その結果、野村は「少年指導の心得」を自分なりにつかんでいた。
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著者プロフィール

1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(角川新書)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

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