「去年ほどのどん底はない」三原舞依は苦難を乗り越える強さで、世界選手権への道を切り開いた

沢田聡子

「笑顔でクリスマスとお正月を過ごしたい」感謝が支えた会心の演技

平昌五輪シーズンでは苦戦した情熱的な表現を、今季は自分のものにした三原舞依 【写真:坂本清】

 ジャンプを終えた後は、ステップシークエンスとコレオグラフィックシークエンスが続く。『恋は魔術師』は、透明感のある柔らかな表現を得意としてきた三原に対し、振付師のデイビッド・ウィルソン氏が従来とは異なるイメージを提案して仕上がったという。

 スペインの音楽に乗り、フラメンコの情熱を表現するこのプログラムをシーズン初めに観た時、思い出したのは2017-18シーズンのショート『リベルタンゴ』だった。2018年平昌五輪が行われたこのシーズン、三原はショートでイメージを一新するタンゴに挑戦している。しかしグランプリシリーズでは失敗が多く自分のものにできないまま、平昌五輪代表選考がかかる全日本選手権を迎えた。大一番である全日本のショートでも転倒があり、フリーで巻き返すも総合5位に終わって五輪代表入りはならなかった。情熱的な表現への再挑戦ともいえる『恋は魔術師』を滑りこなして苦い過去を乗り越えることができるかどうかが、三原の今後を決めるようにも思われた。

 苦しかった『リベルタンゴ』から、困難の多かった5年を経て2022年の全日本を戦う三原は、達成感に満ちた表情でステップに入っていった。プログラム序盤でのつまずきを後半で冷静にリカバリーし、ファイナルでの心残りも取り返した高揚が、音楽の高まりとシンクロする。高い技術に支えられた質の高いスケーティングで描き出すフラメンコのパッションが、リンクから客席に広がっていく。最後のスピンを終えてガッツポーズをみせる三原に対し、ここまでの道程を知る観客は立ち上がって拍手を送った。

 三原を指導する中野園子コーチは、その努力を讃えている。
「本当に今年は近畿(選手権)からずっと出ずっぱりというか、試合をたくさんこなして、それでも維持して体の具合も悪くならなかった。しんどい時も頑張って練習していましたので、今日の結果があるんだと思います」

 三原が連戦による足の疲労を堪え切れたのは、「どんな状況の中でももっともっと上を目指して、『まだまだできる』と思いながら、苦しい中でも乗り越えてくることができた」という自負があったからだ。
「今まで本当にたくさんの経験をしてきたので、『去年ほどのどん底はもうない』と自分の中で言い聞かせて。去年に比べたら、今はまだいい方だと思って」

 一年前、三原は2022年北京五輪代表選考がかかる全日本のフリーで、ダブルアクセルが1回転になる痛恨のミスをしている。いつもの安定感からは想像できないような失敗によって三原は総合4位に終わり、再び五輪出場を逃した。しかし三原はその「どん底」から這い上がり、全日本から約一か月後に出場した四大陸選手権で優勝、今季の躍進につなげている。

 総合2位となった2022年全日本、フリー後のミックスゾーンで、三原は感謝の思いを口にした。
「サポートして下さる方々、応援して下さる方々が、本当に多くて。感謝という言葉で表し切れないぐらいの感謝を、まだまだ伝えたいという思いがすごく強くて」
「応援して下さる中で、今まで悔しい全日本が多かったので、『もう悔し涙を流したくない』と思って。笑顔でクリスマスとお正月を過ごしたいし、私が暗かったら周りの方々も暗くなっちゃうので。悲しい時間が少しでも減って笑顔が増えたらいいなと思って、すごくにこやかな気持ちで滑ることができたなって思います」

 晴れて世界選手権代表に選ばれた三原は、記者会見で、代表として名前を呼ばれるまで本当に緊張していたと語っている。
「代表に選んでいただけてすごく嬉しくて、全日本以上の演技が世界選手権でできるように、またしっかり練習を積んで、自信を持って滑れるように頑張りたいなと思っています。これからもよろしくお願いします」

 苦い思い出が残る全日本で会心の演技をみせた三原は、世界選手権で再び感謝を伝える滑りをみせるため、鍛錬の日々を送る。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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