連載:プロ野球ドラフト史「全12球団“ヒット指名”ランキング」

会心のドラフト指名・オリックス編 球史に残る大当たりはイチロー以外にも…

楊枝秀基
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日米で数々の金字塔を打ち立てたスーパースターは、91年ドラフト4位でオリックスに入団。イチロー伝説はここから始まった 【写真は共同】

 各球団がこれまでにドラフト指名した選手の中で、一番の“ヒット”だったと言えるのは誰か。無名の選手や他球団の評価が低い選手の才能を見抜き、のちにチームに大きく貢献することになる金の卵を手に入れた「成功例」を識者に挙げてもらい、順位づけもお願いした。今回はオリックス編。前身の阪急時代を含めて、下位指名から球史に残る偉大な選手になったのはイチローだけではない。

10位:山森雅文(78年ドラフト4位/外野手/熊本工)

 本場アメリカの野球殿堂、ホール・オブ・フェイムに名を刻んでいる日本人が何人いるだろうか。しかもその第1号は山森氏だという情報はどれぐらい認知されているのだろう。勘違いしてはいけないのは殿堂入りしたわけではなく、日本での超ファインプレーの写真や映像が殿堂博物館に展示されたという事実なのだが。

 81年9月16日のロッテ戦(西宮球場)で弘田澄男の本塁打性の当たりを左翼フェンスに駆け上がりスーパーキャッチ。このホームランハントは日米で話題になった。高卒ドラ4から1000試合以上の出場を果たしていることもあり、“殿堂枠”で10位に入れさせてもらった。

9位:後藤光尊(01年ドラフト10巡目/内野手/川崎製鉄千葉)

 県内屈指の進学校・秋田高から法政大(中退)、川鉄千葉を経てドラフト10位でプロ入り。決して高評価とは言えない順位だったが、02年に新人で開幕一軍スタメンを勝ち取り実力を示した。

 その後はレギュラーに完全定着とはならなかったものの10年、岡田彰布監督の就任で流れが変わった。3番・二塁に固定され143試合で自己最多の174安打を記録。翌年も164安打を重ねるなど通算1265安打を積み上げた。今年、独立リーグ・石川ミリオンスターズの監督兼選手として現役復帰。ドラ10から息の長い選手として球界に貢献している。
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著者プロフィール

1973年生まれ、神戸市出身。関西学院大から98年に『デイリースポーツ』入社。巨人、西武、ヤクルトなどを担当した後、2004年は合併消滅した近鉄、05〜10年は阪神、11年はオリックス番記者を務めた。13年からフリー。東京スポーツコラム「ワッショイ!!スポーツ見聞録」を不定期連載中。

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