連載:「知られざる審判の世界」野球とサッカーを支える“フィールドの番人”

理屈で言えば不可能なオフサイド判定 元国際副審・相樂亨が語る脇役の矜持

吉田治良
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Jリーグの最優秀副審賞を9回受賞した相樂氏。国際的な評価も高かった名アシスタントレフェリーは現在、後進の指導にあたりながら、税理士法人に勤める 【吉田治良】

 20代の若さで副審専任となる決断を下し、その地位を高めた功労者の1人が、元国際副審の相樂亨氏だ。主審とは異なり、スポットライトが当たる機会が少ないにもかかわらず、オフサイドのジャッジで槍玉に上がることも少なくない副審だが、相樂氏の言葉からは“脇役の矜持”が滲み出る。VARの是非やテクノロジーとの共存についても、独自の見解を語ってくれた。

オフサイドジャッジの難しさ

──サッカーの試合で副審は、主審よりもスポットライトが当たりにくいと思いますが、そもそもなぜ副審を目指されたんですか?

 目指したわけではないんです。正直、やっていて楽しいのは主審だし、みんなが憧れるのもの主審。しかし副審は誰かがやらなければいけない、非常に重要なポジションでもあります。私の場合、若い頃にどうやら副審としての評判が良かったらしく、周りにそそのかされてなっただけです(笑)。

──高校時代の恩師に勧められたんですよね?

 ええ。高校のサッカー部の監督だった十河正博さん(故人/元国際審判員)が審判委員会の強化指導部長で、その恩師が、「相樂が副審に向いているとみんなが言ってるぞ、今後は国際副審を目指してみろ」と。

 当時はまだJ3がなかったので、JFLからJ2に上がるところで主審と副審に分かれるんですが、一度副審を選ぶと、専門性を磨くという理由で主審には戻ってこられないんです。だから30~35歳くらいまで主審で頑張って、ダメだったら副審に回ろうという人が多かったんですが、その中で私は28~29歳くらいで、恩師の指示もあって副審1本に決めたわけです。それが、早くからチャンスをつかめた理由だと思います。

──どの辺が向いてると、みなさんおっしゃっていたんですか?

 20代の頃は主審をやりたかったし、副審としての評価はさほど重要視していなかったんです。だからオフサイドの判定も、どっちみち間違うのなら微妙な判定は旗を上げない、得点にしたほうがいいと思っていました。迷ったら上げるな、というのは先輩からも聞いていましたからね。

 しかし、普通は迷ったらだいたい上げます。パスが出た瞬間は五分五分でも、その後から入ってくるのは「オフサイド」という情報ばかりですからね。ギリギリかなと思っているコンマ何秒かの間にも、攻撃側の選手は独走態勢になっていく。ベンチからも「オフサイドだろ!」という声が聞こえてくる。そうすると、どんどん怖くなるわけです。最初のインプレッションを信じて上げない──それには相当な勇気が要るんです。

──特にジャッジが難しい選手はいましたか?
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著者プロフィール

1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。その後、94年創刊の『ワールドサッカーダイジェスト』の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。『サッカーダイジェスト』、NBA専門誌『ダンクシュート』の編集長などを歴任し、17年に独立。現在はサッカーを中心にスポーツライター/編集者として活動中だ。

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