社長からチェアマンへ――。新リーダー・野々村芳和が見るJリーグの現在地
自分が間違ってダメだったらクビになる世界を生き抜くために
日本サッカーの価値を上げていくために、野々村氏はどのような動きを見せていくのか注目だ 【写真:松岡健三郎】
「参考になるものはとりあえず全部参考にしよう」という考えもありますけど、大事なところで誰かの真似をするのが一番良くないと思っているんです。「誰」みたいなのはいないですね。
――「名言を紐解く」みたいなこともあまりしないで、自力で答えや行動にたどり着くタイプですか?
言葉は見るし、ネットで検索もしますよ。札幌の試合を見られないときとかも、落ち着かないから色々なネットで拾った言葉とかを見ていました。だけど、それは自分の心を穏やかにするためだけです。
自分が間違ってダメだったらクビになる世界でずっと生きているから、最後は自分だと思っています。少しでも成長したいなとは常に考えていて「30歳台のときと今とあまり変わってないのでは?」という自分への恐怖みたいなものもありつつ「最後は自分」と決めている感じですね。
――アスリート特有のマインドかもしれませんけれど、自分を追い込んでやってきた部分もありますか?
どうなんですかね……。そんな追い込みたくないですよ(苦笑)。この中(手持ちのスマホ)にも色々入っていますよ。「人が想像できるすべてのことは起こりうる現実だ」とか。「知識人は問題を解決し、天才は問題を未然に防ぐ」とか。
――刺さった言葉をメモとして残しているんですね。
そう。覚えているわけではないし、それを元に自分が動いているわけではないです。ただコンサドーレの試合中に、これを読んで自分を落ち着かせていました。他にも「キレイな虹を見たかったら、ちょっとくらいの雨は我慢しなければいけないんだ」とか(笑)。
週末に足を運びたくなるような作品を
まずどの方向に向かっていくかをリーグ、クラブはもちろん、ファン・サポーターとも共有しないといけないと思っています。
札幌の最後の頃から言い始めて、チェアマンになってからもコメントしていますけれど、僕はサッカーを“作品”だと捉えています。J1だろうがJ2だろうがJ3だろうが、ピッチ上のレベルを少しでも上げて、いいフットボールを見せることが作品の中心です。プラスして多くの人に来てもらえるスタジアムと周りの環境、出し物といったものを各クラブが工夫をして、週末はあそこに行きたいなと思えるようなものを用意できるかです。
自分は集まってくれた人の声、熱量も含めて“作品”だと思っています。Jリーグは1年に1000試合以上ありますけれど、サッカーという作品がどうしたら良くなるか、いい作品を皆でどう作っていくかが、いずれにしても一番大切です。
――ピッチ内の事象だけが重要という意味ではなくサッカー文化の中心、原点を意識するお考えですね。
一言でサッカーと言っても、ピッチ上のクオリティーだけでは決してないですよね。多くの人がそこに来て熱量がある、それを見てまた人が来る……という循環なはずです。そこに人が集まるかどうかは、そのクラブのその地域において、いかに社会につながっているかみたいな部分が重要です。
Jリーグは1993年に始まって、特に最初の頃は上からのプロモーションで楽しいものだと見せていました。ファンは多かったし、露出も多かったと思うんです。今はそれが減っているとよく言われていて、減っているのは事実です。
ただ58クラブについてくれている本当の意味でのサポーターはすごく増えているはずです。それを増やすことが、いい作品を作る上でも大切ということを、うまく伝えていけたらいいというのが自分の考えですね。
――チェアマンとして裁定を下すとか、規約を整備する、スポンサーを集めるという具合に、色々な仕事はありますが、最終的なゴールはサッカーという“作品”の充実ですね。
一方でビジネスという軸もあります。経営的に大変なときはビジネスを最優先にする決断もあるかもしれない。でも一番はフットボールだよね、とみんなが分かっていて話を始めないとズレてきますね。年が経つに連れて「どちらが大切か?」と分からなくなっていくような感覚を、自分はこの業界にいて持っていました。