連載:平野歩夢「Two-Sideways 二刀流」

平野歩夢を見続けた15年 幼少期からずば抜けていた競技に取り組む姿勢

篠崎公亮

なぜ自分が滑るのかを考えられる子供だった

【Photo: Kosuke Shinozaki】

 仕事柄、これまで上手なスノーボーダーはたくさん見てきました。その中でも、幼少期の歩夢は技術的な面はもちろんすごかったのですが、なによりも競技に取り組む姿勢がずば抜けていた。誰よりも早く練習を始めて最後まで滑る。練習量が段違いでした。

 親に言われたからやっているのではなく、なぜ自分が滑るのか、子供ながらに自分ごととして考えられているようでした。仮に大会で調子が悪くても、文句は一切言わない。純粋に自分自身が弱いから負けんだと練習を繰り返す。私が彼をサポートしたいと思った一番大きな理由であるこの姿勢は、昔も今も変わりません。

 実はX-GAMESに初めて出場した時に、決勝の公開練習で大転倒をしているんです。14歳の柔らかい体じゃなかったら、きっと棄権していたレベルの大きな転倒でした。

「体どうなの? 本当に大丈夫か? 続けられるのか?」って聞くと、絶対に痛いはずなのに即答で「全然、いけます」って。

 今も変わりませんが、当時からこういうキツい状況でも弱音を吐くことはまったくない。すごい14歳でしたよ。

こだわりの強さは子供の頃から

 これは私の持論なんですが、どのスポーツでも世界トップクラスで通用する選手は10年に1人しか出てこない。スノーボードでいうと、10年前は国母和弘、その前は布施忠。それに続く存在が歩夢です。彼はちょうどスノーボードが技術に大幅な進化をした時代、つまりショーン・ホワイトの全盛期を見ながら成長した第一世代でもある。

 歩夢には大きな才能があったことはもちろんですが、それ以上に努力を続けたこと、うまくこの周期にハマったことも成功の大きな要因ではないでしょうか。

 ちなみに、アクションスポーツにおいては「上手い、下手」はもちろん「ダサい、ダサくない」も意外と重要な要素なんです。歩夢は子供の頃から髪を長く伸ばしたり、おしゃれへのこだわりが強かった。すでに何がかっこいいかという考えを持っていたのは、同年代の他の子とは全く違う点でした。

 当時は兄や家族の影響が強かったと思いますが、出会った当時から今も、クールな性格はずっと変わりません。

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著者プロフィール

1980年生まれ。スポーツ庁のナショナルトレーニングセンター(ハーフパイプ)強化拠点施設のディレクターで、平野選手の会社のマーケティングディレクターも兼任。平野選手のドキュメンタリーフォトエッセイ『Two-Sideways 二刀流』(KADOKAWA)では写真撮影も手掛けている。

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