女子アイスホッケー代表を支えた守護神・藤本那菜 満身創痍で挑んだ北京五輪を終えて想うこと

沢田聡子

海外でのプレー経験を持つ日本の守護神は大会を通じて安定したプレーを披露。日本史上初の決勝トーナメント進出に大きく貢献した 【写真は共同】

 2014年のソチ、2018年の平昌、そして今回の北京と、アイスホッケー女子日本代表が自力で出場した3回の五輪で、藤本那菜は守護神としてゴーリー(GK)を務め続けた。日本史上初めて決勝トーナメントに進出するも、準々決勝でフィンランドに1-7で敗れた今大会は、藤本にとって手応えと悔しさを感じる大会になった。世界選手権で最優秀GKに選ばれたこともあり、北米やスウェーデンのリーグでもプレーした、世界でもトップレベルのゴーリーである藤本に激闘を振り返ってもらった。(取材日:2月14日)

「チームの一員として氷上に立つからには……」

スマイルジャパンをベスト8に導いた藤本。ケガを抱えながら、日本のゴールを最後まで預かった 【沢田聡子】

 取材の2日前に行われた準々決勝でフィンランドと戦った五棵松体育館のミックスゾーンに、藤本は姿を見せた。相手選手のチャージで首を痛めており「ちょっと、首が回らない…」と言いながらも、丁寧にインタビューに応じてくれた。

――1次リーグのチェコ戦は、ペナルティショット戦も含めて会心の出来だったのではないでしょうか?

 そうですね、チームの目標としていた予選リーグ1位通過をするためには本当に勝たなければいけない試合だったので。日本チームとしても、スタートから気持ちは入っていたかなというふうに思います。

――チェコ戦でのご自分のプレー、出来としてはいかがでしたか?

 出来としては、そうですね……。今大会を通してなかなか自分で納得がいく、及第点をつけられるパフォーマンスはできなかったかな、と思うところはあります。それでもチェコ戦に関して言えば、最終的にチームの勝ちにつなげることができたのは良かったかなと思っています。

――藤本さんのプレーが日本を救った試合が多かったように見えていました。

 オリンピックの舞台に立てるか不透明なくらいケガの続くシーズンだったので、本当に直前まで、最後までリンクに立っていられるか、自分のプレーができるかという微妙なラインがあって……。チームの練習にもなかなか上手く参加できなかったり、自分の思い描いていたシーズンではなかったのですが、やはりチームの一員として氷上に立つからには、チームの勝利に貢献したいという気持ちで臨んだ大会でした。

――準々決勝で痛めた首以外にも、負傷していたのですね。

 もともと痛めていたのは、両膝と両手首です。首については、フィンランド戦は本当に体の当たりが強くて、ペナルティこそとられていないのですがキーパーチャージに近いようなプレーがありました。本当にトップのレベルでやるには、フィジカルな部分でもっとウェイトも増やさなくてはいけないし、当たりに負けない体づくりは必要になるんじゃないかなと感じているのですが、これまでの試合よりもゴール前でのコンタクトが多かったです。(準々決勝のフィンランド戦で)最後の第3ピリオドに倒れてすぐに起き上がれなかった場面があったのですが、その時は首を痛めて回らない状況でした。最後までプレーしたかったのですが、ちょっと難しい状況だったので、アウト(交代)させてもらいました。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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