戦力外から1年…元巨人・田原誠次、九州で家族と過ごす日々 取り戻した野球への思い、今も続く現役ブルペン陣との絆

三和直樹

右サイドハンド右腕として巨人のブルペンを支えた田原誠次。戦力外から1年、今の思いを明かした 【写真は共同】

 貴重な中継ぎ右腕として不可欠な存在だった元巨人のタフネス右腕、田原誠次。右サイドハンドから繰り出す鋭いストレートと巧みな変化球で打者を惑わし、NPB在籍9年で通算222試合に登板して12勝7敗35ホールド、防御率3.13の成績を残した。昨オフ戦力外通告を受け、TBSテレビの年末番組「プロ野球戦力外通告」でもその後の苦悩を明かしていた彼は現在将来を模索し、新たなスタート地点に立とうとしている。

家族とともに始めた新生活

 かつて、東京ドームのマウンドで「夜8時半」が働き場所だった男は今、北九州市で給湯器を作る会社の工場に勤務する。朝6時に起床し、7時前には自宅を出発。最寄り駅まで10分ほど歩き、そこから電車に揺られて約20分。駅を降りると、再び徒歩で15分。朝8時の業務開始に間に合わせる。

「車で行ってもいいんですけど、最近ちょっと太ったっていうのもあって歩いているんですよ。業務は朝8時から夕方5時まで。残業もするので、だいたい帰宅は夜の8時ぐらいですね。仕事が早く終わった日は、子供のスイミングの送迎をしたりしています」

 2020年の11月に戦力外通告を受け、翌12月のトライアウトを受験。クラブチームなどからの誘いはあったが、希望していたNPB球団からのオファーは来なかった。第一に考えたのは、家族のこと。今年の2月には妻の実家である福岡県北九州市に移住。そこでも社会人チームなどを含めて現役続行の道を模索したが、「時期的に難しかった」と明かす。

「福岡の方で探したんですけど、チームの編成が終了した後だと難しいということでした。その他にもいろいろと声をかけてくださって、単身赴任という形だったら野球を続ける道はあったんですけど、家族を養っていくためには金銭的なことも考えないといけない。結論を出すまでは結構悩みましたけど、最終的には家族の近くで、一緒にいれる時間を大切にしたいという気持ちを優先させました」

 今年3月に現役引退を発表。「少し野球から離れる期間を作りたい」と新たな就職先は、自身の手で見つけてきた。履歴書には『巨人軍』と記した。「言うつもりはなくても書かないといけないですからね」。面接では話が盛り上がり、通常なら10分ほどで終わるものが、40分近くにまで伸びた。結果は合格。新たな気持ちで、新たな生活をスタートさせている。

高橋由伸監督時代にシーズン64試合登板

 プロ生活は9年間だった。宮崎県延岡市出身。元々は内野手だったが、聖心ウルスラ学園高時代の2年秋から投手としての練習を始めると、ひと冬越えた3年春には球速が10キロ以上もアップし、右サイドハンドから140キロ超のボールを投げられるようになった。プロを夢見て進んだ社会人時代は、仕事との両立の中で「体力的にキツかった」と振り返るが、「あと1年やってダメだったらもう野球を辞めよう」と覚悟を決めたことで大きく成長。2011年秋のドラフトで巨人から7巡目指名を受けてプロの扉をこじ開けた。

 辿り着いたプロの世界。最初はレベルの高さに驚いた。「当時の僕は、身長180センチぐらいで体重64、5キロ。周りを見たら身長190センチの体重100キロとかいう投手がゴロゴロいる。『俺、間違ったな…』って正直、思った」と苦笑する。だが、そこで田原は「自分の武器は何か」、「どうやって自分をアピールすればいいのか」を日々、必死に考えたという。そして「絶対に生き残ってやるという気持ちでした」と一心不乱に腕を振った。

 “死ぬ物狂い”の成果は、すぐに現れた。プロ1年目の2012年6月にプロ初登板を果たし、8月にはリリーフで「2日連続勝利」をマーク。同年、先発1試合を含む計32試合に登板し、オフの契約更改では年俸が倍増。2年目は腰痛によって登板7試合に終わったが、2014年からは中継ぎ右腕としての地位を固め、2016年にはマシソンに次ぐチーム2位のシーズン64試合に登板。年俸は4500万円まで上昇した。
 
 「中継ぎ投手ってやっぱり疲れるし、精神的にもしんどい。だけど、今振り返ると楽しかったなと思います。自分をアピールできる場を用意してもらいましたし、リーグを代表する右打者たちとの勝負は痺れるものがありましたから。その中で僕が大事にしていたのは、打者との駆け引き。バッターのことを常に観察して、ネクスト、ベンチにいる時から表情の変化などを見るようにしていた。僕自身、ストレートも変化球も、特筆して何かがいいという投手ではなかったので、他の人が今、何を考えているのかを探って、普段の練習でもどういう意図を持ってやっているのかを聞いたりして、周りから学ぶこと、感じることが多かったですね」

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著者プロフィール

1979年1月1日生まれ。大阪府出身。学生時代からサッカー&近鉄ファン一筋。大学卒業後、スポーツ紙記者として、野球、サッカーを中心に、ラグビー、マラソンなど様々な競技を取材。野球専門誌『Baseball Times』の編集兼ライターを経て、現在はフリーランスとして、プロ野球、高校野球、サッカーなど幅広く執筆している。

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