高校野球の丸刈りは人権侵害? 過去の判例から弁護士と考える
【写真:岡沢克郎/アフロ】
そのキーワードは「人権」だった。人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士・松坂典洋氏に聞いた。日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える知的エンターテインメント。
『高校野球と人権』(著:中村計、松坂典洋)から一部抜粋して公開します。
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「丸刈り裁判」は連戦連敗
松坂 明らかに強制している場合は、侵害していることになると思います。一般企業だったら、間違いなくそういう結論になるでしょうね。
中村 高校では?
松坂 普通に考えたら、高校でも人権侵害になるでしょう。ただ、それを詳しく話す前に法律的な意味での「強制」の定義をきちんとしておいた方がいいと思います。たとえば、丸刈りをルールとして定めている野球部で、丸刈りを拒否した部員がいたとしましょう。その部員に対して、監督がバリカンを持ち出して無理やり刈った、と。これらは明らかに強制に当たります。したがって、企業でも高校でも人権侵害に当たるし、場合によっては刑法上の暴行罪で訴えられるかもしれません。刈るときに強引にやり過ぎて出血したりしたら、さらに上の罪、傷害罪になる恐れさえ出てきます。
中村 口頭で「丸刈りにしてこい」と言われて、自分で刈った場合はどうなのですか。
松坂 意に反しているのなら、強制されたと言っていいと思います。ただ、指導者が「うちの野球部は丸刈りです」と言うだけならば、それは単にルールです。
中村 ルールが人権侵害になることはないのですか。
松坂 野球部の場合で考えると、非常に難しいんですよね。極めて特殊なので。というのも、おそらく、書面に明記するなど、きちんとルールとして定めているところの方が少ないのではないでしょうか。
中村 入部するとき、先輩たちがみんな丸刈りにしているから自分も丸刈りにするというケースが多いようです。つまり、暗黙の了解ですね。
松坂 野球部のケースは置いといて、まずは校則の場合を考えてみましょう。大前提として、丸刈りの問題は二段階にわけないと混乱してくるんです。最初の段階は、丸刈りというルールそのものがどうなのかという問題。次の段階として、そのルールに違反したときにどう対応するのかという問題です。後者は対応によっては違法と見なされるケースが非常に多い気がします。実際、ある高校では、先生が女の子の髪の毛を切ってしまい、損害賠償が認められたケースがありました。
中村 これまで実際に丸刈りのルールについて裁判で争われたことはあるのでしょうか。
松坂 公立の中学校では昔、何件かありました。というのも、1970年代から1980年代まで、校則に「男子生徒は丸刈り」と書かれている中学校はけっこうたくさんあったんです。私は静岡県浜松市で生まれ育ったのですが、私が中学生の頃も、浜松市内の中学の男子生徒は校則で全員、丸刈りだったんです。
そんな中、丸刈り訴訟の先駆けとなったのは、1985年の「熊本丸刈り訴訟」です。この裁判では最終的に「特異な髪型でもない」と、学校の主張が認められました。その頃、まだ丸刈りの学生はたくさんいましたからね。ただ、判決文には「本件校則は、その教育上の効果については多分に疑問の余地があるというべきであるが、著しく不合理であることが明らかであると断ずることはできないから、被告校長が本件校則を制定公布したこと自体違法とは言えない」とされました。
中村 遠回しというか、まどろっこしいですね……。
松坂 私はもう慣れましたけど、一般の人からしたらやはりそう思えますか。裁判所はいろいろな方面に配慮するというか、なかなか言い切らないものなんです。判決文を読む限り、裁判所も悩んだんだろうなと思いますね。
中村 これは学校側の負けとも言えるのではないですか。「教育上の効果については多分に疑問の余地がある」と言われているわけですから。これは、ほぼ「おかしい」と言っているのに等しいと思うのですが。
松坂 一般論としてはそうなのでしょうが、ぎりぎりセーフにしておきましょう、ということなのだと思います。もし、従わなかったら退学処分になるとかまでは書かれていないので。そこまでやるとやり過ぎになりますが、強制性がないなら、違法とまではいいませんという判断だったのだと思います。
学校は教育現場なので「教育のため」という大義名分が成り立ちます。したがって、裁量権、つまり自分たちで決めることのできる範囲はかなり広く認められているものなんです。ルールそのものは、よっぽどひどい内容のものでない限り、裁判所はダメとは言わないものなんですよ。
中村 これまで丸刈り裁判が違法と見なされたケースはあるのですか。
松坂 その校則自体が違法と見なされたケースは一度もありません。
中村 意外な気もします。
松坂 これは裁判の大前提でもあるのですが、第一段階のルールそのものに関して争うのはとても難しいんです。1993年に当時、小学5年生だった児童の両親が進学予定だった小野中学(兵庫)の丸刈り校則の無効性を訴えようと裁判を起こしたことがありました。ご存じのように日本の裁判制度は公正さを保つために計3回、審理を受けることができます。それぞれ「第一審」、「第二審」、「第三審」と呼ぶのですが、小野中学の裁判では、その3つの審理すべてで訴え自体が却下されています。
中村 裁判にすらならなかったわけですね。
松坂 こうした結末を「門前払い判決」と呼んだりします。厳密には「門前払い」でもないんですけどね。却下されるまでに書面のやり取りはたくさんあるし、法廷にも立つので。
ただ、そこまではしたものの、もっとも判断して欲しいところまでは辿(たど)り付けなかった、ということなんです。
裁判というものは、丸刈りのせいで精神的苦痛を受けて不登校になったとか、丸刈りを拒否したら退学処分を受けたとか、そのルールによって不利益を被ったときの方が争いやすいんです。被害がはっきりしているので。小野中学のケースはルール自体を不服としている上に、まだ入学すらしていなかったのでこの結果はやむを得ない気はします。