「変革の息吹」〜球団に集うキーマンたち 見つめ直した千葉ロッテの強みと弱み
18年、ついに単体黒字化を実現
13年からマリーンズの変革を見続けてきた高坂氏 【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】
「僕がロッテに関わることになった13年当時は、チーム単体の黒字化へのプロセスも始まっていなかった時期でした。この頃には、“社員個人個人、個の力は強いけど、組織としての力はまだ弱いな”という印象を抱きました。いろいろなアイディアが出て、それを実行している状況でしたが、よくも悪くも個人や担当部署の裁量が大きくて、組織としてどこに向かうのかが見えにくかったというのが、13年当時のマリーンズでした」
マリーンズにとって、そして高坂にとって転機となったのが翌14年のこと。創立以来50年にわたって赤字経営が続いていた球団が、経営改善に成功していく過程を目の当たりしていくことになる。
「僕がマリーンズに関わるようになって、現在までに3つのフェーズがあると思っています。最初のフェーズは、私が正式にマリーンズに入社した15年前後のこと。2番目が単年黒字化に成功した18年、19年。そして、それから現在に至るまで。この3つのフェーズです」
井口が監督に就任したのは、高坂の言う「2つ目のフェーズ」である18年のことだった。球団として初めて単体で黒字化した年である。少しずつ、少しずつマリーンズに改革の息吹が感じられ始めていた頃のことだった。
河合克美オーナー代行が球団社長も兼務
19年冬に球団社長に就任した河合氏。マリーンズに必要な明確なビジョンや方向性を定めていった 【写真:長谷川拓司】
「04年にロッテグループのロッテ・アドという宣伝会社の宣伝部に統括部長という形で入社しました。翌05年正月に重光武雄名誉会長から、“野球にも力を入れろ”と言われ、マリーンズと連動した菓子の宣伝も考えることになりました。その後も、球団との関係は続いていましたが、山室社長が黒字化した18年にマリーンズのオーナー代行就任の話がきました」
そして19年12月――。河合が球団社長に就任する。オーナー代行との兼務という重責を担うことになった。
「オーナー代行になった頃からは、それまでよりも細かく球団の経営状況をチェックするようになりました。その結果、マリーンズというチームにはどこにチャンスがあるのか、どこに課題があるのかということが何となく見えてきました。18年、そして19年までは“まずは黒字化する”ということが至上命題でした。それがなければ、次の戦略には移れませんでしたから。そして、それを実現したタイミングで、球団社長も兼務することになったんです」
球団の足元を見つめ直す作業の中で、河合は「マリーンズの強みと弱み」を再認識することとなった。
「強みは《リアルでの面白さ》だと感じました。あらゆるものがデジタル化していく時期だからこそ、生のスポーツコンテンツの面白さに、逆に気づき始めた人が増えているのではないか? 19年のラグビーワールドカップ、今回の東京オリンピックでもそうですが、《リアルならではの面白さ》は私たちのいちばんの強みです。その点に関しては、まだまだいくらでもやりようがある。私はそう感じました」
一方の「弱み」も明確だった。
「球団というのは、《チーム》と《事業》の両輪が回っていないとビジネスになりません。それまでは、《黒字化すること》が大命題になっていて、明確なビジョンや方向性が定まっていなかった。だからこそ、自分たちの足元を見つめ直して、しっかりとデータ分析をして、短期的、中期的、長期的な戦略を描く必要があるのではないか。教科書的な言い方をすれば、《選択と集中》。そこを徹底する必要があるのではないか。そう考えたんです」
明確なビジョンや方向性を定めること――。マリーンズに必要なものが明らかになった。改革の息吹は、ここからさらに加速していくことになる。
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