車いすフェンシングで金目指す加納慎太郎 良い“出会い”が多くあった一年間

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北京パラリンピック以来の日本人出場となる車いすフェンシング。加納慎太郎は東京2020が決まったときに競技を始めた 【スポーツナビ】

 東京五輪で男子エペ団体が、悲願の金メダルを獲得したことも記憶に新しいフェンシング。パラリンピックではピストと呼ばれる装置に車いすを固定して戦う、車いすフェンシングが行われる。障がいの程度によってクラスが2つに分けられているが、五輪と同じフルーレ、エペ、サーブルの3種類で競い、用具も基本的には同じものを使用する。

 日本人の出場は北京パラリンピック以来となるが、その中の1人が加納慎太郎(ヤフー)だ。加納が車いすフェンシングに興味を持ったきっかけは、東京五輪・パラリンピックの開催が決まってからだ。高校生の時に事故で義足になるまで、剣道を続けていた加納は、剣道がパラ種目に無いため、同じ剣を扱うフェンシングでパラリンピックを目指すことを決めた。競技経験無しで、日本車いすフェンシング協会に「パラリンピックに出たい」と電話をしかけた、即行動派の男がどんな想いでコロナ禍を過ごして、パラリンピックへ臨むのか話を聞いた。

オレグコーチの自宅に押し掛けて…

――まず、パラリンピック出場が決まって現在の率直な気持ちをお願いします。

 嬉しい反面、ちょっとホッとしたな、という気持ちが率直なところです。選考が終わって、今から試合に向けて改めてスタートだなという心境です。

――日本人選手としては、北京パラリンピック以来の出場となります。ヨーロッパで盛んな競技だと思いますが、世界と戦う難しさはありますか?

 難しさはありますね。西洋の剣術で、身体的に大きい人が有利な競技ではあるので、僕みたいな小柄な選手はすごく難しいなと感じます。あと、選手人口がヨーロッパの方が多く、コーチもたくさんいます。文化、伝統を培ってきた西洋のフェンシングの指導者が圧倒的にヨーロッパの方が多いというのは感じますね。
 
――コーチと言えば、加納選手は、五輪で2度の銀メダルに輝いた太田雄貴さんを育てたオレグ・マツェイチュクさんに師事していますね。

 日本では、普段フェンシングのコーチをしていて、車いすフェンシングにも携わる人が多いという印象です。オレグコーチも普段はフェンシングのコーチをしていて、車いすフェンシングの指導はおそらく私が初めてで、一緒に相談しながらという感じでやっています。コロナ禍なので、自宅の椅子を地下の駐車場に持って行って、自分で環境を作りながら一年間練習していました。あと、オレグコーチの自宅に押し掛けたりもしましたね(笑)

――選手とコーチの関係ですが、まさに二人三脚でやってきた感じですね。

 そうですね。あと、フェンシングの合宿にも参加させていただき、オリンピックの男子フルーレチームの選手にもアドバイスをいただきました。海外遠征に行けない状況で、国内で工夫して、みんなでアドバイスし合ったりして頑張れているな、と感じますね。

――トレーニングはどれくらい行っていますか?

 週5日はやっています。多いときですと一週間ぐらい続けてやることもありますが、どちらかというと積極的に休みを入れてやっているという感じです。休みをちゃんと入れないとパフォーマンスが落ちるんです。体を休めて頭もフレッシュな状態で練習をするというのがフェンシングにはとても大事です。午前中練習して、午後は筋トレや有酸素運動が中心です。
 

延期によって新しい出会いがあった

コロナ禍の1年間を、良い準備期間に充てることができたと話してくれた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――パラリンピックが一年延期になって、準備なども変わってきたと思いますが、ポジティブな面とネガティブな面はそれぞれどのようなことがありましたか?

 まずネガティブな面から言うと、社会情勢が不安定になって、コロナの影響で飲食店の方だったり、医療従事者の方だったりの負担が想像をできないくらい大きくなっていったと思うんですよね。そういうことを考えるとすごく心苦しいです。

 自分自身も感染しないように工夫してトレーニングをするという面で、肉体的にも精神的にもきつかったのはありますね。私だけではないともちろん思うんですけど、そういう中で競技を続けていくべきなのかと考えることもありました。そういう葛藤がネガティブな部分かなと思いますね。

――ではポジティブなところは?

 ポジティブなところで言うと、海外に行かなかったので、国内でコーチやトレーナーとの出会いがありました。先ほど話したオレグコーチですが、緊急事態宣言に入る前、病気で入院したので、お見舞いに行ってサポートやマッサージをしたりとかしたんですよね。

 退院されて、緊急事態宣言が明けたときにアジア大会が予定されていたんですけど、そこで僕が「メダルを取りたい、指導していただけませんか?」とお願いしたところ、「入院していた時にサポートしてもらったから断れない」とおっしゃっていただいて(笑)。

 そこから一年間、練習を見てもらう関係性を築けました。やはりオリンピックのフェンシングのコーチですから技術力が高く、多くを学ばせていただきました。また、フィジカルのことで相談したところ、太田さんが(所属先の)森永製菓にいた時にトレーニングを見ていた、下薗聖真さんを紹介していただき、今までやってこなかったメニューを入れてもらって技術的にも肉体的にも成長できました。

 精神面ではメンタルトレーナーの安宮仁美さんに、Zoomでお話を聞いていただいたりして、気持ちの部分も維持していました。そういう面ではこの一年間をいい準備期間として過ごせたんじゃないかなって思います。
――東京五輪・パラリンピックの開催が決まってから、車いすフェンシングを始めたと聞きますが、実際に「パラリンピックに行ける」と手ごたえを感じたのはいつですか?

 いつというよりは、ランキングで25位以内の選手で、開催国枠が3人あるというのを聞いていたので、順位が出ていく中で「行ける」と感じていました。しかし、自分が目指しているのは海外の上位の選手なので、いかに上の選手に食らいついていくかを考えていましたね。

――出場もそうですが、どうやって世界の上位に行けるかを考えていたと?

 そうですね。フルーレとサーブルで出場権を獲得したんですけど、その混合のランキングは14位だったんですよ。でも僕の目指しているところが、もう少し上だったので、ランキングを上げるための二試合が中止でできなかったのが本当に悔しかったです。アジアでしっかり結果を出して、自分の納得のいくランキングに入りたいなと思っていたので。あっ、それができなくて残念で坊主頭にしました(笑)。今は結構伸びてきたんですけど(笑)。

――そんな裏話があったのですね(笑)。

 やっぱり、自分の選考が終わって納得がいかなかったんで。パラリンピック出場が決まったのは良かったんですけど、心機一転ここからだなという気持ちも含めて坊主にしました。ほかの選手には言ってないんで、「なんでこいつは勝手に坊主にしたんだろ」って思われているんですけどね(笑)。

――急に坊主にしたら何かあったのかと思います(笑)。

 周りには暑かったらという感じで(笑)。僕としてはそういう心の心境があったというところと、あと、出られる選手がいるということは出られない選手がいるということなので、そういうことも含めて気合を入れて頑張ろうと思ってしましたね。
――パラリンピックでの目標は具体的にどこを目指していますか?

 優勝ですね! 金メダルを目指して頑張ります。

――ファンの方に伝えたいことはありますか?

 フェンシングって、ルールも複雑ですし、マスクをかぶっているので顔も見えない競技ですので、人となりとかキャラクターを見ていただいて、競技に興味を持っていただけたら良いなと思います。そこから「じゃあこの選手を応援してみよう」とかになると思うので。

 選手たちのドラマがパラリンピックの選手は多いと思うんです。みんないろいろな経験とか挫折を味わったり、障がいを乗り越えてきたりして、そういう自分と本気で向き合える競技と出会って。そういうストーリーとかドラマを見て、人となりを見て競技を見ればすごく楽しく見られるんじゃないかと思います。

 あと、僕の思いとしては、安全面を考慮して、無事に今回のパラリンピックを開催することが一番大事なのかなと思います。そして、大会を開いて良かったなと国民の方々に思ってもらえるように頑張ります。

(取材・文:細谷和憲/スポーツナビ)
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