連載:なでしこジャパン、世界一から10年目の真実

大野忍と鮫島彩が振り返る11年ドイツW杯「なぜだか不思議と負ける気はしなかった」

栗原正夫
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ドイツW杯優勝メンバーの大野忍(写真左)と鮫島彩(写真右)(新型コロナウイルスの感染防止に努め、撮影時のみマスクを外しました) 【栗原正夫】

 世界一に立ったメンバーのその後は様々だが、ともにドイツW杯優勝メンバーの大野忍と鮫島彩は、今秋にスタートする女子サッカープロリーグ、WEリーグに参戦する大宮アルディージャVENTUSの一員として新たな境地に立っている。

 大野はコーチとして、鮫島は選手としていまもボールを追いかける日々。ドイツW杯優勝だけでなく、12年ロンドン五輪銀メダル、15年カナダW杯準優勝も知る2人は、10年前の優勝を今どう振り返るのか。

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「1つ勝つと、あれ次もまたみたいな(笑)」(大野)

なでしこジャパンがドイツの地で世界一に立ってから今年で10年。優勝に大きく貢献した大野忍(写真左)と鮫島彩(写真右) 【Photo by Kevin C. Cox / Alexandra Beier - FIFA/FIFA via Getty Images】

――なでしこジャパンがドイツの地で世界一に立ってから今年で10年。お二人の中に、当時のことはどのように刻まれているのでしょうか。

大野 ウチはもう引退したし、だいぶ昔のことっていうか。指導者になった今は優勝したという事実が、実績として高く評価してもらっているとは感じます。たまに「やっぱり世界一になった人が言うと、説得力があるよね」なんて言われたりすると、すごいことやったのかなって思ったり。まあ、それがどれだけすごいことかは自分でもわかっていない部分もありますけど……(苦笑)。

鮫島 私はどちらかと言うと、もう10年も経ったんだって感じ。

大野 サメちゃん(鮫島)は、変わってないじゃん(笑)。

鮫島 えっ、それって成長してないってこと?(笑)。ただ、優勝を周りの人がどう評価してくれているかは別にして、自分の中ではあのときを思い返すとニヤついちゃう。ぜんぶ真剣だったけど、なんかすべてが楽しかったんだよね。

大野 すごい楽しかったし、それだけだったからね。

――08年の北京五輪でなでしこジャパンは4位に入賞しましたが、最後はアメリカとドイツに及ばずメダルにはあと一歩届きませんでした。その後、東アジア杯(08年、10年)、アジア大会(10年)での優勝はあったものの、W杯優勝は大きな驚きでした。

大野 北京で4位になって、ドイツW杯で優勝を目指そうという空気はありました。簡単ではないですが、北京で掴んだ自信もありましたし。失うものはないし、チャレンジャーというか。

鮫島 私は北京はバックアップメンバーだったので、その流れはわからない部分もあって。言わば北京後に代表に入った新参者。だから、ただただ必死で。何位を目指そうというよりも、どれだけ足を引っ張らないかって、それだけ。みんなは違ったかもしれないけど、私は余裕なんてなかった(笑)。

大野 めちゃくちゃ貢献してたじゃん。でも、まさか優勝できるとはね。1つ勝ったら、あれ次もまた勝っちゃったみたいな(笑)。

鮫島 まさかだったし、あれあれみたいな(笑)。ただ、不思議と負ける気はしなかった。

大野 たしかに、負ける気はしなかったね。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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