琉球一筋9年目、岸本隆一だからこそ感じる 沖縄アリーナでプレーすることの意味
キングスにとっての沖縄という存在
アリーナ建設にかかわった人たちの努力を全て知っているからこそ、社長である木村は自分の貢献を語ろうとはしない 【写真提供:琉球ゴールデンキングス】
あのときもキングスはいち早く動いた。
Bリーグの各クラブによる支援金のための募金活動のとりまとめだけではなく、火災の起こった翌週には「復興支援ステッカー」の販売を始めた。首里城のイラストとキングスのチームロゴを合わせたステッカーである。
特筆すべきは、その「売上」をすべて寄付金に回したことにある。
でも、キングスは違った。
このステッカーが売れれば売れるほど、制作と販売にかかわるコストをキングスが負担することになる。それでも、彼らはこの活動を進めた。最終的にはステッカー約1万1000枚の売上と自分たちとBリーグの他のクラブに協力してもらって集めた寄付金を沖縄県に寄付した。
家族のようなつながりを想起させるものだった。
家族が怪我をしたり、病気になったときに、「今月のお小遣いはこれだけだから……」と治療にかかる費用をケチる人はいないだろう。全力でサポートする。
キングスにとって、沖縄とはそのような存在なのだ。「ホームタウン」という言葉で簡単に片付けられないような濃いつながりがある。
にもかかわらず、キングスの創設者であり、社長である木村は自分の貢献を語ろうとはしない。現在のキングスでキャプテンを務める田代直希はこう証言している。
「クラブのスタッフの方など、色々な方面から木村さんが忙しくしていると聞くことが多くありました。でも、選手である僕は『忙しくて……』というような言葉を木村さんの口から一度も聞いたことがないんです。アリーナのことで相当な努力をして、苦悩もあったはずなんですけど、何ごともなかったかのようにアウェーゲームに来てくれるわけですから」
まだ始まったばかりの沖縄アリーナ
アメリカの実業家で、歴史上2番目の富豪と称されながら、慈善活動から教育や研究のために多額の寄付をしてきたことで知られるアンドリュー・カーネギー。その墓石に刻まれた言葉である。
「彼の墓石には『自分より優れた人たちに囲まれた者、ここに眠る』と書かれています。僕はあの言葉がすごく好きなんですよ。そして、そういう人間で僕はいたいです」
沖縄アリーナ建設のために力をあわせた市長から市の一人ひとりのスタッフ、設計を担当した梓設計から、キングスのファンやブースターと地元の人にいたるまで。
建設にかかわった人たちの誰か1人がヒーローを目指すのではなく、みんなが知恵と希望を持ち寄ったからこそ、日本で初めての先進的なアリーナは誕生したのである。
4月10日と11日、本来行われるはずだったプレオープニングイベントであるBリーグの試合は、対戦相手に新型コロナウイルスの陽性者が出たために、中止となってしまった。ただ、台風の影響で建設工事が難航するなど、これまでもアリーナは厳しい時期を乗り越えてきた。
高ければ高い壁のほうが越える甲斐があるように、本格オープンにこぎつけるまでに直面したいくつものハードルは、きっと意味がある。
そう思えるのは、過去から現在、そして未来へと続く沖縄アリーナのストーリーへの覚悟を感じさせる者がいるからだ。
岸本は「沖縄のカルチャーを背負って、沖縄アリーナでプレーしてきたい」と力強く語った 【写真提供:琉球ゴールデンキングス】
「僕が感じているのは、本来はこの場所でプレーしたかった人たちのことです。キングスで戦ってきてくれた先輩をはじめとしたチームメイトから、僕の小中高とかかわった先生や仲間まで、みんなが立ちたかった舞台がようやく出来あがりました。
ここでプレーしたいと考えていた人たち、キングスや沖縄のために貢献してくれて、本来ならばこの場所でプレーすべき人たち。そういった方たちの気持ちと、沖縄のカルチャーを背負って、沖縄アリーナでプレーしてきたい。そんな強い想いがあるんです」