連載:闘魂60周年記念、アントニオ猪木が語る3つのターニングポイント

師匠・力道山の故郷でプロレス初開催 猪木の思いが19万人を会場へ集めた

茂田浩司

「全てを出し切ってしまった」19万人の前での一戦

「フレアー戦で完全燃焼してしまった」と話すほど、歴史に残る一戦となった 【撮影:菊田義久】

――プロレスの大会を開くことになったんですね。

 まあ、彼ほどの人なら衛星放送なんかで海外のプロレスの試合は見ていたかもしれないんだけど(笑)。

 それで本当なら半年、1年かかっても返事が来ないようなところなんだけど、わずか1週間で委員会ができて「開催する」ということが決定しました。

――北朝鮮が、そんな短期間で動き始めたんですね。

 その後、何回かウチのスタッフが北朝鮮に行って、準備を進めたんですけど、そんなに早く実現するのは異例のことだったんですよ。

――そうでしょうね、そして伝説の「平和のための平壌国際体育・文化祝典」(1995年4月28、29日。平壌・メーデースタジアム)が開催されました。両日ともに19万人、合計で38万人を動員するという空前のスケールとなりました。「19万人の観客」は想像もつきません。

 そうですね、どよめきというか歓声が、これまで経験したものとまったく違うんですね。野球でホームランを打ったら「ワー!」と大きな歓声が上がりますけど、そんなレベルではなくて。とにかくリングの上で聞こえるのは「ワ、ワ、ワ、ワ」と、ひたすらこだまする歓声でした(笑)。

――「ワー!」ではなく、「ワ、ワ、ワ、ワ」なんですね。19万人ともなると会場の後方からリングサイドへ音が届くまでに、それだけの時間差があるものなんですね。

 そう、こちらが動いたり、技を掛けたり、何かするたびに客席から「ワ、ワ、ワ、ワ」と聞こえてくる(笑)。

――19万人の前での試合は、猪木さんのプロレス人生の中でも最高の体験ですか。

 そうでしょうね。その時、その時で感動しますけど、あの試合では「もうこれで現役は引退だ」と感じて、試合の時に着たガウンはそのまま北朝鮮に置いて帰りました。

――そうなんですね。

 今でも飾ってくれていますね。向こうの宝物殿に。それほど、自分のエネルギーを北朝鮮で全部出し切ってしまったんです。今振り返ると、あそこで全部出し切ってしまったのが失敗だったなと思います……。

(企画構成:有限会社ライトハウス)

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