連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

21世紀枠でセンバツに選出された磐城高 引き裂かれた部員20名と監督の熱き絆

瀬川ふみ子

「嘘でしょ?」木村監督がまさかの異動…

センバツが中止となり、木村監督が指揮を執る最後の甲子園が幻となってしまった……(写真は昨秋県大会での試合前ノック) 【写真提供:磐城高校】

「次に向かって頑張っていこう」とは言っても、「夏に向かって頑張っていこう」とは言えなかった木村。なぜなら、2週間後の異動が決まっていたから、磐城の選手たちと一緒に夏を目指すことはできないのだ。
 
 木村は、今後の福島県高野連で全体を担う立場に名前が挙がる人材。3月いっぱいで、福島県高野連事務局がある福島商高に異動することになっていた。

「センバツが彼らと戦える最後の舞台だと思っていました。異動の発表が3月24日なので、1回戦は異動のことは告げずに戦おう。一回勝ったら、そこで話し、『俺も最後だから頼むぞ』と、それを逆に力に変えて勝ち進む。そして、センバツを終えた時点で、『もう一緒には戦えないけど、おまえらは夏もここに戻ってこいよ』と伝える。そんなイメージでいたんです」
 
 でも、その春の選抜甲子園が中止になってしまい……。
「ここまで選手たちが落胆している中、自分までいなくなったら、彼らは大丈夫だろうか……という思いがあって、阿部(武彦)校長に、『なんとか8月までいられないですかね』と伺いを立てたりもしたんです。恥ずかしいぐらいに何度も。でも、当然ダメですよね、決まっていることですから」

「それならばせめて、もう一回、教え子たちが野球をしている姿が見たい」。そう思った木村は、校長の許可を得た上で、3月20〜22日の3日間、選手たちが市内の球場で合同自主練習しているところを見に行った。自粛期間中であり指導はできないため、ノックを打つこともなく、ただ見ているだけ。

「彼らの野球をしている姿を目に焼き付けることができました。焼き付けたからといって、彼らを置いていかなければならない無念な気持ちはどうにもできませんでしたが」

「木村監督の異動は、センバツが中止になったことよりもショックだった」と語る岩間主将 【撮影:白石永(スリーライト)】

 そして公示の前日の3月23日、選手と保護者が集められ、阿部校長から木村の異動について話された。
 阿部校長が定年のため3月で退職されること、チームを支え続けてくれた大場(敬介)部長が千葉に異動するということは知っていたが、木村監督まで異動になってしまうとは……。一同に「嘘でしょ?」という表情がうかんだ。

「校長から話があった通り、このたび異動することになりました。なんとか夏までここに残れないかと掛けあいましたが……かなわず」。木村が話し始めると、選手たちは泣き出した。

「子どもたちのすすり泣く声は聞こえていたんですが、それを見たら私も泣いてしまうから、遠くを見て淡々と話しました。話し終えた後も、あれ以上あの場に彼らといたら、涙を堪え切れないと思って、先に引き上げました」(木村監督)
 
 信頼し、尊敬して止まない監督のまさかの異動を、キャプテンの岩間は振り返る。

「何を言っているのか分からないぐらい動揺しました。『夏、保先生と甲子園で戦うことを目標にやってきたのに、保先生がいなくなってしまったら、自分たちはどうしたらいいんだ』。そんな思いで、その夜はずっと泣いていました。センバツが中止になったこと以上のショックというか。仲間も同じ気持ちだったと思います」

最後のノックに涙が止まらない…

出場するはずだった甲子園に思いを馳せ、涙ながらに最後のノックを打ち続けた木村監督 【瀬川ふみ子】

 一週間後の3月30日、離任式。その後に、「最後のノック」が行われた。それは、春の選抜甲子園に区切りをつけ、チームが一つになって夏の甲子園に向かって再出発するための大事な位置づけのノックだった。
 
 前日、季節外れの雪が降り、グラウンドはグチャグチャだったが、木村監督からのノックを受けたかった選手たちは、早朝から長い時間をかけてグラウンドを整備し、しっかりと白線を引いた。そして、甲子園で着るはずだった背番号付きのユニホームを初めて着て、木村監督を待った。
 
 甲子園仕様のユニホームを着た木村がグラウンドにやってきて、選手たちを見るや「おぉー、かっこいいなー」と。「感極まりそうになった」という木村だが、「泣いちゃいかん」とグッと堪えた。
 
 いよいよノック。甲子園での試合前のシートノックを想定して、7分間のはずだったが……。

 最後の一巡のとき、最初のレフトの清水真岳にノックを打とうとすると、突然、清水が大きな声で感謝の気持ちを言い始めた。ほかの選手たちもそれに続き、木村監督を始め、大場部長、阿部校長に向けての感謝の気持ちも次々に述べていった。

「泣かないと思っていましたが、あまりにも粋な計らいで。外野から内野ノックに入り、ピッチャーの沖になったときはもう限界でした。泣きながらノックを打っていました」(木村監督)
 
 ラスト、キャッチャーの岩間から木村監督への言葉は……。

「春の中止が決まってから、絶対に保先生を夏の甲子園に連れて行くんだって気持ちでやってきたんですけど、その夢は実現できませんでした。でも、夏に最高の報告ができるよう、キャプテンとして覚悟を持って頑張っていくので見守っていてください」と絶叫。
 
 木村は、「任せたからな!」と思いを託すと、空高くキャッチャーフライを打ち上げ、最後のノックは終わった。

木村監督との別れを惜しむも、磐城ナインは新たな目標に向かって歩き出した 【瀬川ふみ子】

 それが、木村と選手たちの別れの日。そして、新たなスタートの日であった。

「私はみんなが帰った後、数学研究室の荷物などを片付けて車に積んで帰ったのですが、家までの約1時間、ずっと泣いていましたね。ほんと、恥ずかしいですけど、思い出されることがいっぱいで、涙が止まらなかったです」(木村監督)
 
 選手たちの心にもぽっかりと穴が空いたまま4月になった。
 
 桜が満開になった4月2日、後任の監督がやってきた。後任は、3月までいわき光洋の監督を務めていた渡辺純。木村同様、磐城高校野球部OBで、木村の11歳下の後輩だった。その渡辺新監督が磐城ナインにかけた第一声で、選手たちは、不安から安堵(あんど)に変わるのだった。

(企画構成:株式会社スリーライト)

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