連載:生涯現役という生き方

東京ドームの5万人の観衆に記憶が…  蝶野正洋が大一番で失敗しないマインド

蝶野正洋
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第6回

1989年4月、東京ドームのリングに初めて上がった蝶野。5万人の観客を前に、直前の気合もどこへやら。記憶が戻ったのは試合後のタクシーだったという 【Photo by Etsuo Hara/Getty Images】

 あれは新日本プロレスの一回目のドーム大会だったかな。
 1989年4月の東京ドームに闘魂三銃士が呼び出された。
 その日は、ロシア・日本・アメリカの三国対抗戦が行われることになったんだ。IWGPヘビー級王座の挑戦者を決めるトーナメントの一回戦で、俺はビッグ・バン・ベイダーと対決することに。
 それ以前は、海外修業でカナダのリングに上がっていたから、観客は大体1000人くらいだった。そんな規模の会場で試合をこなす日々を送っていた。
 しかし、なんとこの日は5万人を超える大観衆!
「これはすごいや、世界中が注目してるぜ」と、意気込んだのを覚えている。

 俺は新弟子時代に猪木さんの付き人を務めていた。

 その頃、猪木さんは大舞台に備えて体を仕上げてきて、時には試合前に瞑想なんかしている。あの有名なブルーザー・ブロディとのシングル戦の前なんて自分をこれでもかってぐらいに追い込んでいるから、近寄りがたい空気だった。下手に声をかけたらこっちがやられるんじゃないかってほど狂気が内からにじみ出ていた。
 そんなのを間近でずっと見ていたこともあって、俺もここ一番の大事な勝負だから、猪木さんをお手本にして心身ともに調整していた。
 当時の俺は、まだ25歳。若いから怪我もなく、体調もすこぶる良好。
 そして、万全の状態で当日を迎えて、いざベイダーが待っているリングに向かう。

「行くぞっっー!! ガウォォア〜!!」
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著者プロフィール

1963年生まれ。2歳までアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで過ごし、東京都三鷹市で育つ。1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日、武藤敬司戦でデビュー(武藤にとってもデビュー戦)。1991年、第1回G1クライマックスで優勝し、その後V5達成。1992年、第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にはnWoJAPAN設立し一大ムーブメントを起こす。1998年IWGPヘビー級王座獲得。2010年2月に新日本プロレスを離れ、それ以降フリーランスとして活動。1999年12月にはオリジナルブランド「アリストトリスト」を設立し、代表取締役を務める。

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