突然の引退劇から5年後に現役復帰 新谷仁美が見せる“前例のない”快進撃

酒井政人

マラソンではなく「トラックだから頑張れる」

ハーフマラソンの日本記録を更新した1週間後には、大阪国際女子マラソンのペースメーカーを行うなど、未だ日本女子長距離界の第一線で活躍を続ける 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

──19年末で所属していたNIKE TOKYO TCは解散し、今年1月に積水化学に移籍。同月19日のヒューストンハーフマラソンでは、福士加代子(ワコール)選手が保持していた日本記録(1時間7分26秒)を14年ぶりに塗り替える、1時間6分38秒をマークしました。

 横田真人コーチから「ハーフに出よう」と言われたのが、ドーハ世界選手権が終わった後の10月です。私は「走り込みの一環なのかな」と軽い気持ちで考えていたんですけど、横田コーチは日本記録を狙うことを考えていたみたいです。私がそのことに気づいたのは、1カ月半くらい後になってからでした(笑)。

 福士選手の日本記録は1キロの平均タイムが3分11秒だったので、私は「1キロ3分10秒で刻めばいいんだ」ということしか頭にありませんでした。5000メートルや1万メートルのゴール後は倒れるくらいきついんですけど、このレースはすごく楽にフィニッシュできました。

──ということは、もっと記録を出せたという感触があったんですか?

 タイム的にも限界という感じはしなかったです。さすがにマラソンは無理ですけど、あのまま30キロくらいは走れそうでした。

──ハーフマラソンに向けてのトレーニングはいかがでしたか? トラック種目とは少し違うと思います。

 そうですね。普段は5000メートルや1万メートルに向けた練習をしているので、400メートルのインターバルでいうと70秒前後のものをやっています。一方、ハーフに向けての練習は本数が多いんですけど、タイムはそこまで速くない。そういう意味では、気持ち的には楽でした。

──ヒューストンハーフマラソンの1週間後(1月26日)に行われた大阪国際女子マラソンでは、12キロまでペースメーカーを務めました。これも練習の一環ですか?

 いえ、お仕事です。私は報酬で動く女ですから(笑)。

──報酬はトラックよりもマラソンの方が高いと思いますが、マラソンをやろうという気持ちはありませんか?

 よく聞かれるんですけど、マラソンは絶対に後悔するんですよ。過去3度のマラソンはいずれも30キロ以降にペースダウンしてしまい、本当にきつかった。その点、5000メートルや1万メートルは途中で失速しても、残りの距離はそれほどありません。トラックだから頑張れるんです。

「私にとって走ることは天職」

──今年1月に樹立したハーフでの日本記録に続いて、2月にオークランドで行われた5000メートルで7年半振りとなる自己ベスト(15分07秒02、日本歴代7位)をマークしました。調子がグンと上がってきた印象です。

 昔から私はリズムで押していくタイプなんですけど、そのリズムが戻ってきた感覚があるんです。私はメンタルが弱いことが欠点で、焦ってしまうんですよ。焦るから緊張するし、パニックになってしまう。ただ、ハーフマラソンは身体が動くまでゆっくり走れる。徐々にペースを上げていくことを横田コーチが重視してくれたので、いいリズムが戻ってきました。

──東京五輪は5000メートルと1万メートルで参加標準記録を突破しています。東京五輪に対して抱いている思いを聞かせてください。

 東京五輪も“仕事”の一環です。私にとっては世界選手権も日本選手権も記録会もすべて“仕事”なので、「記録会だからこの程度でいいかな」ということはありません。どのレースにも全力で臨み、応援してくれる人に最高のパフォーマンスを見せるのが、私のミッションだと思っています。それは東京五輪でも変わりません。

──新型コロナウイルス感染拡大の影響で、東京五輪が1年延期したことについてはどう捉えていますか?

 特にないですね。どれだけ延期になっても、東京五輪で活躍することが私の“仕事”なので、やるべきことをやるだけです。結婚願望がないので、年齢もそこまで気にならないです。トレーニングについても、そこまで影響はありませんよ。

──東京五輪での目標を教えてください
 
メダルが一番の目標です。順位でいえば8位以内ですね。

──新谷選手は2月26日で32歳になりました。一度現役を引退した25歳のときと比べて、衰えを感じるところはありますか? それとも、まだまだ進化している実感がありますか?

 競技面の衰えはそんなに感じていません。課題にしていたラスト1000メートルに関しては、目に見えるほどの成果はないんですけど、最後までフォームを崩さずに、押していけるようになっています。衰えているのは肌くらいです(笑)。あと白髪も出てきました(笑)。

──最後に、また走り始めて良かったですか?
 
う〜ん。生きていく上では良かったです。「楽しい?」と聞かれたら、楽しくはないですけど……。ただ、生きていくために“仕事”をしないといけません。そういう意味では、私にとって走ることは天職なんだと思います。

(企画構成:株式会社スリーライト)

新谷仁美(にいや・ひとみ)

 1988年2月26日、岡山県生まれ。興譲館高では、全国高校駅伝にてエース区間の1区で3年連続の区間賞に輝き、3年時には現在まで残る区間新記録を樹立しチームの初優勝に大きく貢献した。卒業後は豊田自動織機女子陸上部に入部し、2007年の第1回東京マラソンに出場。初マラソンで初優勝を成し遂げた。トラック種目では12年ロンドン五輪1万メートルで日本人最高の9位。13年の世界陸上のモスクワ大会1万メートルでは自己ベストをマークし、5位入賞を果たした。その後14年1月に引退を表明し、会社勤めをしていたが18年にNIKE TOKYO TCに加入。約5年のブランクを経て競技に復帰した。20年1月にはハーフマラソンで1時間6分38秒の日本新記録を樹立。東京五輪は5000メートルと1万メートルで参加標準記録を突破している。現在は積水化学に所属。

2/2ページ

著者プロフィール

1977年愛知県生まれ。東農大1年時に箱根駅伝10区に出場。陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』やビジネス媒体など様々なメディアで執筆中。『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)など著書多数。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント