突然の引退劇から5年後に現役復帰 新谷仁美が見せる“前例のない”快進撃
マラソンではなく「トラックだから頑張れる」
ハーフマラソンの日本記録を更新した1週間後には、大阪国際女子マラソンのペースメーカーを行うなど、未だ日本女子長距離界の第一線で活躍を続ける 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】
横田真人コーチから「ハーフに出よう」と言われたのが、ドーハ世界選手権が終わった後の10月です。私は「走り込みの一環なのかな」と軽い気持ちで考えていたんですけど、横田コーチは日本記録を狙うことを考えていたみたいです。私がそのことに気づいたのは、1カ月半くらい後になってからでした(笑)。
福士選手の日本記録は1キロの平均タイムが3分11秒だったので、私は「1キロ3分10秒で刻めばいいんだ」ということしか頭にありませんでした。5000メートルや1万メートルのゴール後は倒れるくらいきついんですけど、このレースはすごく楽にフィニッシュできました。
──ということは、もっと記録を出せたという感触があったんですか?
タイム的にも限界という感じはしなかったです。さすがにマラソンは無理ですけど、あのまま30キロくらいは走れそうでした。
──ハーフマラソンに向けてのトレーニングはいかがでしたか? トラック種目とは少し違うと思います。
そうですね。普段は5000メートルや1万メートルに向けた練習をしているので、400メートルのインターバルでいうと70秒前後のものをやっています。一方、ハーフに向けての練習は本数が多いんですけど、タイムはそこまで速くない。そういう意味では、気持ち的には楽でした。
──ヒューストンハーフマラソンの1週間後(1月26日)に行われた大阪国際女子マラソンでは、12キロまでペースメーカーを務めました。これも練習の一環ですか?
いえ、お仕事です。私は報酬で動く女ですから(笑)。
──報酬はトラックよりもマラソンの方が高いと思いますが、マラソンをやろうという気持ちはありませんか?
よく聞かれるんですけど、マラソンは絶対に後悔するんですよ。過去3度のマラソンはいずれも30キロ以降にペースダウンしてしまい、本当にきつかった。その点、5000メートルや1万メートルは途中で失速しても、残りの距離はそれほどありません。トラックだから頑張れるんです。
「私にとって走ることは天職」
昔から私はリズムで押していくタイプなんですけど、そのリズムが戻ってきた感覚があるんです。私はメンタルが弱いことが欠点で、焦ってしまうんですよ。焦るから緊張するし、パニックになってしまう。ただ、ハーフマラソンは身体が動くまでゆっくり走れる。徐々にペースを上げていくことを横田コーチが重視してくれたので、いいリズムが戻ってきました。
──東京五輪は5000メートルと1万メートルで参加標準記録を突破しています。東京五輪に対して抱いている思いを聞かせてください。
東京五輪も“仕事”の一環です。私にとっては世界選手権も日本選手権も記録会もすべて“仕事”なので、「記録会だからこの程度でいいかな」ということはありません。どのレースにも全力で臨み、応援してくれる人に最高のパフォーマンスを見せるのが、私のミッションだと思っています。それは東京五輪でも変わりません。
──新型コロナウイルス感染拡大の影響で、東京五輪が1年延期したことについてはどう捉えていますか?
特にないですね。どれだけ延期になっても、東京五輪で活躍することが私の“仕事”なので、やるべきことをやるだけです。結婚願望がないので、年齢もそこまで気にならないです。トレーニングについても、そこまで影響はありませんよ。
──東京五輪での目標を教えてください。
メダルが一番の目標です。順位でいえば8位以内ですね。
──新谷選手は2月26日で32歳になりました。一度現役を引退した25歳のときと比べて、衰えを感じるところはありますか? それとも、まだまだ進化している実感がありますか?
競技面の衰えはそんなに感じていません。課題にしていたラスト1000メートルに関しては、目に見えるほどの成果はないんですけど、最後までフォームを崩さずに、押していけるようになっています。衰えているのは肌くらいです(笑)。あと白髪も出てきました(笑)。
──最後に、また走り始めて良かったですか?
う〜ん。生きていく上では良かったです。「楽しい?」と聞かれたら、楽しくはないですけど……。ただ、生きていくために“仕事”をしないといけません。そういう意味では、私にとって走ることは天職なんだと思います。
(企画構成:株式会社スリーライト)