連載:見抜く力 阿部慎之助の流儀

恩師・原辰徳と阿部慎之助 引退を決断した、2人だけの会話

長南武、金子卓麿
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第6回

引退会見では、阿部の他に(写真左から)坂本、亀井、マシソン、澤村も登場。黄金期を築いたメンバーが引退を惜しんだ 【写真は共同】

 リーグ公式戦が残る9月25日。優勝から4日しか経っていないその日、阿部は東京・千代田区の帝国ホテルで引退会見を開いた。

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 11歳の長女を筆頭に3人の子を持つ父。晩年、調子の上がらない時には「パパ何で打たないの?」と問われ、答えに窮(きゅう)して泣きそうになったこともある。だが、結果が全てのプロ選手生活もあとわずかで終わる。

 長年背負った背番号10とも今季限り。入団時、他の候補として22や23を提示されたが、阿部が選んだのは10番だった。

 阿部はその後、10という数字に深い愛着を持ち、携帯電話の番号や身につけるネックレスのペンダントトップなどに10を使い、自主トレやシーズン中のアーリーワークで自らに課すダッシュは10本と決めていた。

 それを知る球団スタッフは引退会見にサプライズを用意する。そのスタッフとは広報担当としてチームに帯同してきた阿南徹さんと矢貫俊之さんの二人だ。

 彼らは阿部が引退をチームに伝えた翌日、引退会見の日時や場所を調整する一方で、「阿部さんをどういう形で送り出すのが良いのか」と思案に暮れた。会見の日程が9月25日に決まったのが、その2日前。準備に充てられる時間は1日しか残っていない。

 そこで二人は営業、ファン事業部と社内の仲間に「これだけの功労者を盛大に送り出したい。そのために何ができると思うか?」と知恵を仰いだ。すると彼らはそれぞれの持ち場でできることを考え、様々な具体案を提示した。矢貫さんは「阿部さんに感謝を伝えたいという思いが社内を一つにまとめた」と述懐する。これほどの一体感を感じたのは初めてだったという。もらったアイディアを一つにまとめ、形にしたのが、報道陣用の背番号10のシャツだったのだ。

 社内を動かした広報の阿南さんと矢貫さんはともに巨人の元投手で阿部とバッテリーを組んだ仲である。思いの強さが、たった1日でのサプライズ準備を叶えたのだろう。
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著者プロフィール

1967年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーディレクターとしてスポーツを中心とした数多くの映像番組の取材や演出、構成を手掛けている。

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