連載:見抜く力 阿部慎之助の流儀

指揮官の決断と、4番打者への復帰 岡本和真の呪縛をほどいた阿部の言葉

長南武、金子卓麿
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第5回

阿部の存在は、主砲に成長した岡本(写真右)にとっても非常に大きかった 【写真は共同】

 暗雲が垂れ込める中、突入した交流戦。原辰徳監督は大きな決断を下す。前年、史上最年少で3割30本塁打100打点を達成し、21歳の若さで第89代4番打者に座った岡本和真の起用法である。

 4年ぶりにチームの舵取りを任された原監督は、就任直後から一貫して「4番は岡本」と公言してきた。しかし、その岡本は開幕から低空飛行を続け、交流戦を前に51試合で打率2割4分6厘、9本塁打、32打点。個の不調がチームの不調に直結する、それが4番という役職の宿命だ。

 巨人の打線は、広島からFAで獲得した丸佳浩の加入により2番坂本勇人、3番丸という超攻撃型オーダーが形成されていた。ここまで丸が3割1分9厘、坂本が3割4分。新生巨人の目玉であるサカ・マルコンビの歯車が噛み合っていながら、4番岡本の不振により打線が分断され、それが失速の一因となっていた。

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 勝利のためには前言を撤回し、機を見れば情を封じ、周囲の雑音を結果で遮(さえぎ)ってきた名将は交流戦の開幕を「潮目」と見る。岡本を4番から外し、阿部にその役割を託した。

 ここまで捕手復帰という野球人生最後の悲願を封印し、チームの勝利の為に代打の切り札として役割を全うしてきた阿部はこの時点で3割を超える打率を残し好調を維持していた。原監督が第72代4番打者に白羽の矢を立てるのは必然だった。

「聞いた時はビックリしたけどね。でもそれは与えられたところで頑張るのは選手としては当たり前だし」

 ユニフォームを着ている以上はスタメンを目指すという阿部にとって、ようやく巡ってきたチャンスであることは間違いない。それと同時に、原監督に仕えて通算14度目のシーズンを迎える阿部には、指揮官の口には出さない意図が見えていた。
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著者プロフィール

1967年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーディレクターとしてスポーツを中心とした数多くの映像番組の取材や演出、構成を手掛けている。

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