連載:見抜く力 阿部慎之助の流儀

思い通りに動かない体と、阿部の苦悩 「何でこんな事ができないんだろう……」

長南武、金子卓麿
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第3回

負担の大きな捕手というポジションで、阿部は必死に戦っていた 【写真は共同】

 2月。キャッチャーとして臨んだ4年ぶりの宮崎キャンプ。阿部の存在はチームに活気をもたらす。40歳になろうとしているベテランが愛用のフルフェイスマスクを被り、ブルペンでセカンド送球を披露する。それを見た原辰徳監督は「まだ使いものになるね!」と目を細めた。

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 だがキャッチャーという役職は体の負担がおそろしく大きい。周囲の反応とは対照的にこのころから阿部の苦悩が始まる。

「いやもう全くイメージ通りにならなくてね。これぐらいできるだろうと思ったことが全くできなくてちょっとギャップを感じたね」

 一番の問題は肩だった。当初はまずまずだったセカンドへの送球が、日を追うごとに勢いを失い、しまいにはどう投げても、思うような球がいかなくなってしまった。「ダメだ、却下」と投げてはダメ出しをする光景が続く。

 小林誠司、炭谷銀仁朗、大城卓三……他のキャッチャー陣は激しくなった競争に負けまいと順調な調整を続けている。その中で阿部だけが取り残される形になる。

「たとえばセカンドに昔までのイメージで投げても届かない。ただ単純なことなんだけどそれを感じた時は落ち込んだね。自分で“何でこんなことができないんだろうな”って……。できているように見えてるかもしれないけど、自分の中の何かがこうあるから。自分のレベルを下げたくないけど、やっぱり下げないと。心も体も持たないのかなと思うよね」

 自分の中の何かとは、プライドや過去の残像や理想や、色々なものが混ざり合ったものだったのだろう。それは次第に膨れ上がり、阿部は心を病んでいく。

 3月、不安は的中する。まずは体が悲鳴を挙げた。ふくらはぎを痛めて戦線を離脱。1月の自主トレで口にした「とにかく離脱しないで一軍に帯同」という目標は、あっという間に水泡に帰した。
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著者プロフィール

1967年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーディレクターとしてスポーツを中心とした数多くの映像番組の取材や演出、構成を手掛けている。

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