満塁弾の向こう側に見た、亡き男の生き様 2010年・木村拓也追悼試合を振り返る

中溝康隆

同級生、ともに移籍組の親友だった木村拓也に捧げる満塁弾を放った谷 【写真は共同】

 プロ野球にはたくさんの名勝負・名場面が存在する。今回は2010年4月24日、木村拓也追悼試合として行われた巨人vs.広島にスポットを当てたい。この試合を巨人ファンのライター・中溝康隆さんが振り返る。

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ドラフト外からのサバイブ術

 10年前のあの夜、東京ドームのスタンドは「背番号0」のオレンジ色応援ボードで埋め尽くされていた。

 2010年4月24日、巨人対広島の一戦は、くも膜下出血のため37歳の若さで亡くなった木村拓也内野守備走塁コーチ(当時)の追悼試合として開催された。

 4月2日、マツダスタジアムでの試合前シートノック中に本塁付近で倒れ、7日に帰らぬ人となった木村コーチは、前年まで巨人の現役選手だった。貴重なバイプレーヤーとして、08年には124試合に出場すると、打率.293、7本塁打、31打点でリーグ連覇に貢献。翌09年9月4日の東京ヤクルト戦では、ベンチ内の捕手登録選手がいなくなり、延長12回に緊急捕手として出場。このシーンは平成巨人の名シーンのひとつだ。

 宮崎南高時代は通算35本塁打を記録した強打の「4番・キャッチャー」だったのが、ドラフト外でプロ入り後、日本ハム、広島、巨人と渡り歩きサバイバルし続ける内に、両打ちと内外野どこでも守れるユーティリティー性を身につけた。

「ぼくはこういう選手になろうと思ってここまで来た選手ではありません。生き残るためにこうやるしか思いつかなかった結果がユーティリティープレーヤー、何でも屋でした。それでこの世界で食ってこられたのです。レギュラーになる、エースになるのは目標でしょうが、エリートばかりではありませんから、自分の力、能力の限界でそれが難しいと思い知らされる時が来ます。けれども、それでも生きる道はあります」(月刊ジャイアンツ2010年7月号より)

 病に倒れる1カ月前の3月2日のNPB新人研修会講演で、木村がルーキーたちに向けて送った言葉だ。その男は誰もが夢見るプロ野球の世界で、現実を見て生き残った。「自分のためにチームがあるのではなく、チームのために自分がある」ことを体現する選手として、“キムタク”は首脳陣からは重宝され、チームメートやファンから愛されたのである。

同級生、移籍組同士の親友が放った一撃

試合終了後、木村の長男にウイニングボールを渡す 【写真は共同】

 そんな背番号0の追悼試合を4万6673人の大観衆が見守った。

 両軍選手が喪章をつけ、長男・恒希君が始球式を務めたこの試合、阿部慎之助のソロアーチに加え、守っては左翼手・ラミレスのスライディングキャッチ、三塁手・小笠原道大がファウルボールを追ってエキサイトシートにダイブと、まるで日本シリーズのようなテンションで臨んだ巨人ナインだったが、やはり印象深いのは、あの劇的なホームランだろう。

 巨人が1点を追う8回裏1死満塁、一打逆転のチャンスで告げられたのは「代打・谷佳知」。キムタクとは同い年の移籍組同士で励まし合いながら戦ってきた親友である。マウンドにはキムタクの広島在籍時にともに戦った高橋建の姿。打席に向かう背番号8を東京ドームの大歓声が後押しする。

 カウント2ボール、1ストライクからの4球目、139キロの外角高めのストレートを捉えた打球は左中間へ。普段は寡黙な打撃職人が、この夜だけは違っていた。会心の一撃を放った瞬間に絶叫し、打球がスタンドインするのを見届けた谷は、一塁ベースを回ったところで両手を突き上げてバンザイ。その顔には喜びというより、安堵の笑みが浮かんでいた。

 劇的な代打逆転満塁弾は、プロ14年目で自身初の満塁アーチでもあった。一塁ベンチ前に戻ってきた殊勲の背番号8を先頭で待っていたのは原辰徳監督だ。その日の午前中に都内で行われたお別れの会の弔辞で、「君はこれからも私たちとともにいます。東京ドームの君のロッカーにあった「84 T・KIMURA」のネームプレートは今、監督室の私のそばにあります。一緒に戦うぞ、拓也。ありがとう、さようなら、拓也」と涙を流した指揮官は、谷を抱きかかえながら出迎えた。

 試合はこの回一挙5点を奪った巨人が7対4で逆転勝ち。絶対に負けられない一戦でお立ち台に呼ばれた谷は声を詰まらせながら、盟友への想いを語った。

「タクヤとはずっと同級生で、いつもいつも励まし合ってプロでずっとやってきたんですけど……もう先に……逝かれて……本当に悲しくて……もう泣かないでおこうと思ったんですけど、涙が全然止まらなくて……なんとか今日の試合はとにかく勝ちたいと臨みました」

この年の谷の働きは、キムタクのようだった

FAや強力な外国人が主力を張るだけでなく、谷や木村のようなバイプレーヤーの働きがあの頃の巨人を支えていたのは間違いない 【写真は共同】

 この年の谷は、ドラ1ルーキー・長野久義の入団や若い松本哲也の成長でベンチを温める日々が増えたが、それでも腐らず準備をして己の役割を全うした。まるで、起用法に関係なくいつ何時も戦う姿勢を崩さなかったキムタクのように。

 気が付けば、あれから10年。この試合の巨人のスタメンにはラミレス、小笠原、阿部、高橋由伸、若き坂本勇人ら豪華メンバーが並んでいる。2010年前後、大型補強組や06年まで続いた逆指名ドラフト組が主力を張り、彼らが平成巨人の象徴として語られることが多かった。

 しかし、その一方で、ベンチには頼れるベテランたちも控えていた。試合終盤には切り札となりえる彼らがいる。今思えば、当時の巨人豪華スタメン陣を根っこで支えていたのは、谷や大道典嘉、そして木村といった、複数球団を渡り歩きながらサバイバルし続けてきた百戦錬磨の仕事人たちだったのである。

 期待の若手の成長を楽しむだけがプロ野球じゃない。我々は球場で未来と同時に、過去を見る。2010年4月24日、東京ドーム。あの夜、多くの野球ファンは谷の放った満塁弾の向こう側に、キムタクの生き様を確かに見たのである。

 See you baseball freak……

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 スポーツナビではこの度、プロ野球過去試合の速報を再現します。

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 今回取り上げた「2010年4月24日 巨人vs.広島(木村拓也追悼試合)」は、4月24日(金)18時より速報開始!

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。デザイナーとして活動中の2010年10月に開設したブログ『プロ野球死亡遊戯』が、累計7000万PVを記録するなど、野球ファンのみならず現役選手の間でも話題に。ほぼ日刊イトイ新聞主催『野球で遊ぼう。』プログラムに寄稿、『スポーツ報知 ズバッとG論』『Number Web』コラム連載を行うなど精力的にライター活動を続けている。『文春野球コラムペナントレース2017』では巨人担当として初代日本一に輝いた。主な著書にベストコラム集『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、最新作『原辰徳に憧れて-ビッグベイビーズのタツノリ30年愛-』(白夜書房)などがある。

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