連載:Jリーグ・クラシック

今は亡き「大さん、マツさんのプレーを」 中澤佑二が語る“マリノス黄金時代”

飯尾篤史

03年、横浜FMは両ステージを制覇し完全優勝を成し遂げた 【写真:築田 純/アフロスポーツ】

 温故知新――故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る。

 新型コロナウイルスの影響でJリーグが中断して2カ月が経った。Jリーグのない日々が続き、明るい未来はいまだ見えてこない。それでも……Jリーグには27年の歴史がある。こんな状況だからこそ、レジェンドたちの声に耳を傾けたい。新しい発見がきっとあるはずだ。

 第3回は2003年の横浜F・マリノスを取り上げる。元日本代表監督の岡田武史氏を新指揮官に迎え入れた横浜FMはジュビロ磐田、鹿島アントラーズの2強に割って入り、1stステージ制覇を果たす。2ndステージでも上位につけ、3位で迎えた最終節。対戦相手は首位の磐田。大雨の横浜国際総合競技場で行われた一戦は3分に早くも動き出す――。今なお「Jリーグ史上最も劇的な結末」と言われるこの試合を中心に、03年の横浜FMについて当時の中心選手である中澤佑二さんに振り返ってもらった。

岡田武史監督に掛けられた言葉で印象的だったのは?

岡田武史さんを監督として迎えた当時、中澤は「怖いイメージがあった」と振り返る 【写真:築田 純/アフロスポーツ】

――2003年シーズンは、中澤さんにとって横浜F・マリノス加入2年目。この年、チームは元日本代表監督の岡田武史さんを監督として迎えました。

 岡田さんって言うと、怖いイメージがあったんですよね。日本代表監督時代、カズさん(三浦知良)をフランス・ワールドカップのメンバーから外した会見もテレビで見ていましたから。常にピリピリしていて、冗談なんて言わないんじゃないかと。カズさんだってメンバーから外すんだから、すごく厳しい采配をするんじゃないかと勝手に想像して、ビビっていたんですよ。

――実際には、どうでした?

 実際、厳しかったんですけれど、ずっと厳しいわけじゃなく、オンとオフがしっかりしていましたね。厳しい中にも優しさがあって、選手一人ひとりに声を掛けてくれましたし。でも、選手とベッタリということもなく。一定の距離を保ちながらも、しっかりとコミュニケーションを図ってくれた。

 岡田さんが言っていたのは、「監督と選手が友達のような関係になるのは良くない。ベタベタしてしまったら、厳しい決断ができなくなる」と。そうやってビシッと線を引いていたので、チームには常にいい緊張感があったと思います。

――中澤さんが掛けてもらった言葉で、印象に残っているものは?

 一番は「失敗していいよ。ミスはするものだから。失敗を恐れずにチャレンジしよう」ということですね。サッカーはミスをするスポーツだと。マラドーナも、ベッカムも、ジダンも失敗する。だけど、彼らは失敗を恐れていない。だからこそ、いいプレーができるんだと。「失敗を恐れて縮こまるな。常にファイティングポーズを取れよ」と言ってくれたんですよ。

――その言葉が響いたということは、それまでの中澤さんは、ミスを恐れるようなところも?

 やっぱり、失敗は誰もが恐れることですからね。ただ、「ミスを恐れるな」ということを、監督が言ってくれたのが大きかった。チームメートに言われるのと、監督に言われるのとでは全然違う。監督が「失敗してもいいから、思い切ってやれ」と背中を押してくれたことが、あの頃の僕には大きかったと思いますね。

――岡田さんはよく「勝負の神は細部に宿る」とおっしゃいます。厳しい部分、細かいことで印象に残っているものは?

 たくさんあるんですけど、「グラウンドに入ったら、自分に対する甘えをなくせ」みたいなことはよく言っていましたね。ここからここまで走るっていう決まりがあったら、その手前でスピードを緩めるんじゃなく、最後まで走り抜けとか。ここからここまでプレーするって決めて、ここからここまでしかやらないのは普通のチーム。ここからここまでを誰に指摘されることもなく、自分で考えてやり抜くのが本当の強いチーム。そうしたチームが優勝するんだと。

03年のチームは「ストイック」紅白戦もバチバチに

紅白戦も「バチバチ」だったと語る中澤。03年の横浜FMはストイックな集団だったという 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――03年シーズンは1stステージの開幕戦でいきなり前年に完全優勝を果たした王者ジュビロ磐田と対戦し、4-2で打ち負かしました。

 強いジュビロに対して、怖がらずに勝負できたのが大きかった。監督の言っているように、ファイティングポーズを取る。ビビりながらやるんじゃなく、常に先手を打つような戦いができたので、自信になったと思います。

――この年は久保竜彦さんやマルキーニョス、佐藤由紀彦さんを獲得しました。彼らがスムーズにチームになじんだような記憶があります。

 マルキはチームのために汗をかける選手だった。だから、岡田さんの求める、前線からのプレスや裏への抜け出しを積極的にやってくれたんですよね。

 久保さんはそもそも能力がすごく高かった。それに加えて由紀彦さんやドゥトラがサイドからクロスを入れて、中央では大さん(故・奥大介)が自由に動いて攻撃にアクセントをつけて。それぞれの役割が明確だったし、それぞれの個性も理解していた。歯車が噛み合っていたんだと思いますね。

――第10節が終わって約1カ月の中断期間に入った時点では5位でした。しかし、中断空けに5連勝を飾って1stステージ優勝を果たします。しかも、優勝を決める最終節のヴィッセル神戸戦では中澤さんが2ゴールを奪っています。

 ありましたね、そんなラッキーなことが(笑)。ただ、優勝したけれど、岡田さんはたしか「まだ年間を通して何も成し遂げていない」というようなことを話していました。まだ半分勝っただけ。残り半分もしっかりと戦っていこうと。優勝したことは忘れろ、みたいな感じだったので、僕らも浮かれるようなことはなかったと思います。

――前年の02年シーズンも1stステージは首位を走っていたのに、残り2試合のところで敗れ、優勝を逃しました。前年と03年の違いは何だったと思いますか?

 02年までは、何て言うんですかね、才能はあったんだけどサッカーに対して24時間真剣ではない選手が多かった。でも、才能に頼るだけでは、岡田さんの求めるサッカーについていけないんですよね。チームへの忠誠心とか、細かいところまで手を抜かないとか、意識を変えないとついていけない。

 お酒を飲みたい、遊びに行きたい。いろいろと誘惑があるじゃないですか。でも、それを我慢して、優勝するためにストイックにトレーニングを積む。それができる選手が起用されたし、最終的には、そういった集団になっていったと思いますね。

――紅白戦も激しかったそうですね。

 もうバチバチですよ(笑)。厳しい言葉も飛び交っていましたし。岡田さんの良いところは、若手だろうが、一生懸命やっていれば、試合で使うんですよね。逆に、どんなに実績があっても、調子が悪かったら代えられてしまう。だから、若手も目の色を変えてアピールしていましたね。

――中澤さんもバチバチと。

 僕もバチバチやりますけど、マツさん(故・松田直樹)ほどじゃないです(笑)。ドゥトラやマルキとか、ブラジル人もけっこう熱いし、那須(大亮)さんも、河合(竜二)も、ああ見えて熱いですからね。でも、ピッチを離れれば、わだかまりはなかったから、悪い雰囲気ではなかったですね。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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