勝利を呼び、観客を魅了する徳島の新10番 渡井理己のドリブルは唯一無二だ
渡井はプロ3年目にして、小・中・高と背負ってきたナンバー10を託された。この進境著しいMFにかけるクラブの期待は大きい 【(C)J.LEAGUE】
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高校生がプロに混じって際立った存在感
プロ3年目の渡井。静岡学園高時代も10番を背負い、主将として約250人の部員を束ねた。世の中にはいろんなタイプの選手がいるが、渡井は圧倒的な技術でチームメートの信頼を勝ち取り、無敵のドリブルで相手を黙らせてきた技巧派。ちなみに、おしゃべりはそんなに得意ではない。まつ毛がクルンッとした可愛らしい二十歳のお兄ちゃん。ピッチを離れれば、ごくごく普通の好青年である。
渡井を初めて見たのは、2017年の7月。トップチームの練習に参加した渡井はまだ高校3年生だったが、その存在感は際立っていた。特にインパクトを残したのは関西国際大との練習試合(35分×2本)。2本目から出場し、インサイドハーフやトップ下のポジションで違いを作った。
その存在感を真っ先に認めたのは、ほかでもない、チームメートとして一緒に出場していた徳島の選手だっただろう。数日間練習をともにし、技術の高さには気づいていたはず。しかしながら、普通はいきなり練習試合に参加した高校生にそう頻繁にボールが回ってくるものではないだろう。ただ、あの日は違った。渡井にパスが通ると、この高校生はチャンスに絡み、すぐさま決定機を演出した。
その後は流石にプロ選手の集まりである。渡井が機能すると判断するやいなや、彼にどんどんボールを集める。渡井はそれに応えるように何度も好機を創出し、終わってみれば35分間で4得点に絡んだ。
プレースタイルがチームに調和
担当していたのは、谷池洋平強化担当(現・強化部長)。「ドリブルで1人抜く選手はいますけど、3人くらい平気で抜いてしまう選手はなかなかいませんよ」。
谷池氏は16年から渡井を追いはじめ、17年は「(東海の)プリンスリーグに毎週のように通っています」と足繁く通った。
岡田明彦強化部長(現・強化本部長)も、「自分の間(ま)でプレーできて、うちがやろうとしているスタイルに合う。自分でボールを運び出したり、考えてプレーすることだったり、(トップチームへの)練習参加の前から絶対にできるという感覚がありました」と絶賛。「すぐにオファーしよう」と契約交渉に乗り出した。
そうやって渡井はプロへの扉を開いたのだ。
チームは17年からリカルド・ロドリゲス監督体制となり、それまで獏としていた“徳島ヴォルティスのスタイル”がはっきりとした形になりはじめた。「ボールを保持しながら、主導権を握る」(ロドリゲス監督)サッカーだ。そのなかで渡井のプレースタイルはチームに調和した。
ピッチ上で1人だけ異なるリズムを奏でる
プロ初年度はまだフィジカルが弱く苦戦を強いられ、浮かない表情をしていたこともある。しかし、「練習するしかない」(渡井)と気持ちを切り替えて下積みの期間を過ごした。その努力のかいあって、同年のシーズン最終盤あたりから“渡井らしさ”がよみがえってくる。リーグ戦では出場機会が巡ってこなかったが、翌年の活躍を予期させた。
その予想通り、19年は飛躍の年に。第6節・アルビレックス新潟戦(○1-0)でJリーグデビューを飾ると、第18節・横浜FC戦(○2-1)で待望のプロ初得点。徳島県の風物詩『阿波おどり』と時期を同じくして先発の座を勝ち取り、第28節・アビスパ福岡戦(○1-0)から最終節まで連続で先発出場を果たす。
終盤戦に11勝3分1敗という怒涛(どとう)の快進撃を見せたチームはリーグ戦を4位フィニッシュし、J1参入プレーオフ決定戦・湘南ベルマーレ戦(△1-1)まで駒を進めた。J1昇格には惜しくも手が届かなかったが、渡井の残した6得点・4アシストは誇るべき記録だ。
そして、迎えた20年シーズン。徳島の新10番となった渡井は、J1参入プレーオフで負ったケガの影響から別メニューでのスタートとなり、開幕戦のメンバーに名を連ねることはできなかった。だが、現在は完全合流し、リーグ再開に向けてコンディションを整えている。
巧みな技術を誇る徳島の中盤だが、渡井のドリブルと絶妙な間合いは唯一無二。ピッチ上で一人だけ異なるリズムを奏でる。疾走感あるドラムンベースで踊るように、止まることのない連続した動きで相手を翻弄(ほんろう)する姿は痛快だ。
勝利を呼び込み、観客を魅了する。それが、渡井理己――。
(企画構成:YOJI-GEN)
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