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カリスマ社長が残したクラブ経営術とは?
Jリーグ新時代 令和の社長像 岡山編

「大手を振って、お天道様の下を歩けるかどうか」

クラブオフィスでの北川社長。元高校球児は父親との政策系シンクタンク業を経て、岡山にやって来た
クラブオフィスでの北川社長。元高校球児は父親との政策系シンクタンク業を経て、岡山にやって来た【宇都宮徹壱】

 先ほどの当人の発言にもあったように、北川は父親と一緒に仕事をしていた時代があった。父親とは、元衆議院議員で元三重県知事の北川正恭。この人物は、選挙におけるマニフェストの提唱者としても知られている。北川家の次男である真也は、父の出身地である三重県に生まれ、東京で育った。以下、当人の回想。


「おやじが国会議員になった時に東京に引っ越して、僕が高1の時に知事になったので、両親が三重に戻ってしまったんですよ。ですから僕は、16歳からひとり暮らしだったんです。その時は野球部にいて、朝から晩まで野球漬けだったものですから、グレる暇がなかったですね(笑)。当時の夢ですか? プロ野球選手(笑)。子供だったんですね」


 やがて三重県知事を2期8年勤めた父が「長期政権は癒着が生じる」として不出馬を表明。早稲田大学大学院の公共経営研究科教授に就任し、日本におけるマニフェストのあり方を研究するための個人事務所を設立する。そこで秘書兼事務所のスタッフが必要となり、当時大学4年だった次男に「おまえ、やらないか?」と声をかけた。思いがけないオファーに、北川は少し悩んだそうだ。


「その時、尊敬する方に相談したら『会社勤めは30歳でもできる。政治の根幹である選挙制度に関わる経験は今しかできないんだから、いいんじゃないか?』と言われて、すっかりその気になりましたね(笑)。おやじはずっと政治家をやっていて日々忙しく、プライベートではひとりで切符すら買ったことがないんですよ。ですから、秘書としてのマネジメントだけでなく、会社をどう回していくのかというのを、新卒の若造が経験できたのは大きかったです」


 この頃、社会人経験のない24歳の携帯には、誰もが知る有名政治家や大企業の社長の電話番号も記録されていたという。そのプレッシャーは相当なものだったと思うが「とりあえず1年やってみて、ダブルブッキングのようなミスは一度もなかったのは自信になりましたね」。結局、この仕事を6年間続けることになる。この時の経験は、北川にどのような価値観を与えたのだろう。当人の答えは「大手を振って、お天道様の下を歩けるかどうか」という、少し意外なものであった。


「結局のところ政治にしてもスポーツにしても、この国や地域をどう良くしていくか、どう盛り上げていくかというツールでしかないと思うんですよ。そのツールを使うにあたって『大手を振って、お天道様の下を歩けるかどうか』というのって、すごく大事だと思うんです。今の仕事だって、不特定多数のお客さまにサービスを提供しているわけじゃないですか。多くの県民の方々にご理解をいただきながら、皆様が楽しめるサービスを提供させていただいているという意味で、この考え方はすごく大きいなと思います」

法人営業でたたき込まれた「凡事徹底」の精神

地域リーグ時代を知る増井哲哉氏(左)と作陽高校サッカー部で主将だった櫻内光太氏
地域リーグ時代を知る増井哲哉氏(左)と作陽高校サッカー部で主将だった櫻内光太氏【宇都宮徹壱】

 それでは、父親の下、政治の世界に身を置いていた元高校球児は、なぜ岡山からJリーグを目指すサッカークラブに転職したのだろうか? きっかけとなったのは、当時ファジアーノ岡山のGMだった池上三六という人物。経産省から東京ヴェルディ、そして地域リーグ時代の岡山を渡り歩いた異色の経歴の持ち主で、父親を通じて知遇を得ることとなる。


「池上さんには、経産省やヴェルディにいた頃からかわいがってもらいました。その人がいるファジアーノって、どんなクラブだろうと調べてみたら、営業募集の広告を見つけたんですよ。それで08年の夏に、岡山と東京で計2回、木村さんに面接していただきました。木村さんの第一印象ですか? 実はほとんどないんですよ。覚えていることといえば、とにかく低姿勢だったこと。それから、賢さをまったく見せなかったことですね」


 かくしてJFL時代の08年、北川はファジアーノ岡山に入社する。最初に担当したのは法人営業。「法人営業こそがクラブの生命線」というのが木村のモットーであり、岡山の社員はほぼ全員が営業を経験している。では木村の営業スタイルとは、どのようなものだったのか。まずは北川の先輩にあたる増井哲哉、そして後輩の櫻内光太の証言を紹介しよう。


「地方の中小企業の社長さんって、いきなりアポ取りしても会えないんですよ。ですから木村さんは、毎晩のように社長さんの集まりに顔を出していました。経歴が経歴なので『もうかる株を教えてよ』みたいな感じで(笑)、ファジアーノの話は聞いてもらえなかったですね」(増井)


「営業先の社長さんには、必ず手紙を書いていましたね。それも訪問前、訪問後、そして会食後。経営者の皆さんに自分のことを知っていただくことで、アポイントの取得率も違ってくるということは、僕自身も身を持って経験させていただきました」(櫻内)


 よく知られているように、クラブ社長に就任する以前の木村は、30代半ばでゴールドマン・サックスの執行役員というポストにあった。途方もない金額を動かしていたのだろうが、地元企業から数十万円のスポンサー料を得る時も「凡事徹底」の営業努力を惜しまなかったという。その愚直な姿勢は、北川にもしっかりと受け継がれている。


「木村さんからたたき込まれたのは、自分が信用されることで『サッカーはよく分からんけれど、おまえがかわいいから支援するよ』という状況を、どう作っていくかということですね。そのために、常に自分自身を磨き続けることが『凡事徹底』。ここで実績を積んでいけば、全国どこに行っても通用するという確信はありました。ただし、まさか木村さんから社長を引き継ぐとは、あの時まで想像もしていませんでした(笑)」


<後編につづく。文中敬称略>

宇都宮徹壱
宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著はスポーツナビでの連載をまとめた『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版)

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