中村憲剛、39歳。試練と向き合う男に密着 前十字靭帯損傷をいかに乗り越えるか
あのプレーは今も後悔はしていない
19年11月2日の広島戦、後半18分に相手選手と接触した中村は負傷。それでも、そのときのプレーに後悔はない 【(C)Suguru Ohori】
19年11月2日、J1第30節。前半21分に田中碧のゴールで先制した川崎は、1-0のリードを保持して後半に臨んでいた。1点を追う広島は当然ながら反撃に出てくる。川崎は押し込まれる状況が続いていた。トップ下としてゲームメークを担う中村としては、その流れを断ち切り、さらには試合を決める2点目、3点目を奪いたいという考えがあった。
「試合は1-0でリードしていましたけど、あの日、個人の調子としては良くはなかったんです。正直、ミスも多かった。だから、自分としては、守備でチームを助けようという思いが働いたんだと思います」
攻撃で貢献できないのであれば、守備で尽力する。17年にJ1初優勝、18年にJ1連覇を経験する中で、中村が身につけたひとつの指針でもあった。
「そのときの自分がやれることをやる。攻撃がうまくいかないのであれば、まず守備でリズムを取り、そして攻撃もいいリズムにしていく、というのは、今に始まったことではなく、ここ2年くらいでやってきたことでもあったんです。だから、あのときも、自分のリズムが悪いのであれば、守備から入ろうと思っていたんです」
だから、中村は言う。
「あのプレー自体は今も、全く後悔はしていない」
何度も、何度もバツ印を出した
ピッチに崩れ落ちた中村は、自らすぐにバツ印を出した。そして担架で運ばれると、そのままピッチを後にした 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
ただ、ボールを受けた相手が前を向こうと振り返った瞬間で、周りが見えていなかったこともあり、タイミングが悪かった。
前を向こうとした相手と、ボールを奪いに行こうとした中村の膝が接触した。
「当たった瞬間、めちゃめちゃ痛かったんです」
そのまま左膝を抱えるようにして中村はピッチに崩れ落ちた。
「音がしたんです。ボキボキか、ボコッみたいな感じの。とにかくものすごい音が自分の中に聞こえたんです」
数年前にも足首を捻挫した経験があり、そのときに聞いた音に近かった。むしろ、体感した音量はそれ以上だった。
「やった瞬間に、これは無理だなって分かりました」
すぐさまベンチに向かってバツ印を出した。すでに痛みを伴っていたため、必死で自分の腕をたたいてバツ印を表現しようとした。だから、何度も、何度も腕をたたいた。
スタンドから見ていた妻・加奈子さんは肩をたたいているように見えたため、最初は肩が外れたのではないかと思ったと言う。
「最初はバツ印を出しているとは思っていなかったから、肩を打ったのかなと思ったんですよね。でも、その後もうずくまっている姿を見て、これはただごとじゃないなと思い直しました。あの角度で接触したから、もしかしたら膝かなって……」
ピッチに倒れ込んでいた本人もまた、接触したときに、一瞬だがあり得ない方向に曲がった膝と、聞いたこともない大きな音に、軽症ではないことを悟っていた。
「痛かったこともあって、それくらいしかピッチでのことは覚えていないんですよね」
運び込まれた担架に乗ると、中村はロッカールームへと運ばれていった。
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1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。川崎フロンターレ所属。MF/背番号14。175センチ/66キロ。川崎一筋でプレーし、2020年で在籍18年目を迎える。中央大学を卒業した03年に当時J2だった川崎に加入。ゲームメーカーとして台頭すると、クラブの成長をともに歩む。16年にはJリーグ最優秀選手賞(MVP)に輝き、17年にはJ1初優勝、18年にはJ1連覇を達成。19年はルヴァンカップ優勝に貢献するも、11月2日、J1第30節のサンフレッチェ広島戦で負傷。左膝前十字靭帯損傷のケガを負い、現在、復帰に向けてリハビリに励んでいる。