北の大地でプロバスケと経営者の二刀流 49歳レジェンド・折茂「常に厳しかった」

大島和人

クラブ立ち上げ2年で株式会社化を決断

長い期間日本代表としても活躍。日本開催の2006世界バスケでもプレーした 【写真:ロイター/アフロ】

 とはいえレバンガの立ち上げも苦難を極める。名選手として栄光を極めたヒーローも、経営者として未熟だった。

「一般社団法人北海道総合スポーツクラブは、年に(営業収入が)4000万円くらいしか集まらなかった。それなのに人件費に7000万円とか8000万円も使ったんですよ。自分は選手だったので、勝ちたかった。何とかスポンサーが集まるだろう、人は入るだろう……。そういう『だろう』で入ってしまった。それが大きな間違いでスポンサーも集まらなければ、人も全然入らない。そうするともう払う手段がなくなる。自分がレラカムイ時代、給料が未払いになって選手がどんな気持ちだったか分かっているので、それだけは避けなければいけなかった。どうするかと言ったら自分の金をつぎ込むしかない。それでやってきたけれど限界がありますよね」

 また当時は常勤のスタッフが折茂を含めて3名。そのような人数で経営が回るはずもなかった。

「人が少ないのは本当に致命的ですね。リーグからもいろんな協力をいただいたものの、動くのは実質3人だった。今から考えたらできるわけがない。それでどんどん深みにハマっていく状況でした」

 折茂は行き詰まりを感じていた。

「社団法人にしろと言われたのは、株式会社だと一人に責任が行ってしまうからです。でも結局フタを空けてみれば、僕は(代表取締役ではなく)理事長ではあるものの、責任とお金の問題が全て僕にかかる。理事の方はいたんですけれど、当然他に仕事を持っている。すぐにみんなが集まることは難しい。何が問題かと行ったら物事が進んでいかない。その時点でかなりの負債も抱えていました」

 クラブ立ち上げから2年、彼の下した決断は株式会社化だった。

「これでやっていたら絶対に難しいと、最後の賭けで株式会社にしました。どうせ自分が責任をとって全てかぶるのであれば、自分の決断だけで物事を進めたほうが後悔はしないと思ったんです」

 救世主となったのは株式会社正栄プロジェクトの経営者・美山正広だ。折茂はこう言い切る。

「レバンガができたときに一番初めに行ったのは美山さんで、スポンサーを引き受けていただいた経緯があります。僕が最後の賭けで株式会社にしたいと出資をお願いしたのも美山さん。そこでノーと言われていれば、今このチームは無いと思います」

 レバンガ北海道は様々な紆余曲折があった中で2016年の初年度からB1に参入し、17年度末には増資などの資本政策により債務超過も解消した。B1でも五指に入る人気クラブとして、北の大地に根付いている。

「社員が笑っていられる。それが僕にとってうれしいこと」

厳しい時もあったが、レバンガを立ち上げて良かったと語った 【大島和人】

 人気クラブのトップとなった彼だが、ここに至る反省と、苦難から得た教訓をこう説明する。

「あれだけ借金を抱えたのは僕のふがいなさです。経営者として経験がなかったのもあるけれど、無いものをあるようにしてしまったからです。お客が入るだろう、スポンサーが取れるだろうと予算組みをしてしまう。あるもので予算組みをすれば、突発的なものが無い限りマイナスって無いんですよ。それをきっちり守っていれば、問題はないんです。経営ってすごく難しいのかなと思っていたけれど、結構単純です。あとは人が動くか――。僕がいなくても社員が頑張れば、会社ってうまくいくものです」

 もっとも「あるもので予算を組んだ」しわ寄せは現場に行く。2018-19シーズンの終盤戦は22連敗と降格の瀬戸際に立たされ、折茂は選手兼経営者として再び修羅場を味わった。しかし瀬戸際で残留を果たし、今季は上昇気流へ乗りつつある。元日本代表ポイントガード橋本竜馬や能力が高い外国出身選手の加入もあり、2019-20シーズンの戦績は大幅に改善されている。

「次のハードル」がもう折茂の目に入っている。Bリーグは2024年からライセンス判定を大幅に引き上げる。「売上高12億円」「平均入場者数4000人」「アリーナハードソフト要件」がB1の新基準だ。となれば折茂も、経営者として歩みを止めるわけにいかない。

「ライセンスの基準に売上、入場者数、アリーナ問題が入ってくる。そこのところをクリアしていかなければB1に残れない現状が目の前にぶら下がっている。われわれはそれに向けて着々と毎年積み重ねなければいけない」

 レバンガを立ち上げて良かったと思いますか? インタビューの最後に聞いてみた。

「今はそう思いますけれど、途中は結構厳しかったですね。メンタル的にも厳しかったし、このまま行けるかも分からなかった。そこに大きな犠牲も払った。後悔はなかったけれど『厳しいな』という思いは常にありました」

 やってよかった。そう思えるようになったのも最近だという。

「債務超過も解消して、会社に行ってふと周りを見渡したとき――。初めは二人しかいなかったわけですから。それが今二十何人いるわけでしょう? 今はたくさんの社員がいて、事務所ではみんなよく笑っている。何しろ当時は社員が笑っている姿を見ていません。それは良い状況じゃないですよね……。こうやって社員が笑ってくれると、何となく安心なんです。社員が笑っていられる。それが僕にとってうれしいことです」

2/2ページ

著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント