実況し続けて気づいたライガーの誇り 辻よしなり「誰より新日本を愛していた」
1989年4月24日の東京ドーム大会で、獣神ライガーとしてデビュー。すべてはここから始まった 【(c)新日本プロレス】
自分を捨て、ライガーであることにこだわった
「ライガーというレスラーには思い入れが強すぎて」。辻氏はそう語った 【撮影:熊谷仁男】
そうですね。僕は88年3月の終わりから『ワールドプロレスリング』の実況を担当しているんですが、僕がまだプロレスの実況アナとしてよちよち歩きのときに、ライガーが誕生するんです。
――ライガー選手は89年4月24日の東京ドームでデビューですから、辻さんが実況を始めて約1年ですね。
もっと言えば、僕は83年春にテレビ朝日に入社した直後、『ワールドプロレスリング』のリポーターを1年弱やらせてもらったんですけど、その頃は素顔時代のライガーがいたんじゃないかな。
――ライガー選手は83年の夏前ぐらいに新日本プロレスに入門しているので、同期みたいな感じですね。
だから、素顔時代から思い入れが強いレスラーなんですよ。「山田恵一」という名前は出してもいいのかな?
――ライガー選手、素顔は見せませんが、名前は著書『獣神サンダー・ライガー自伝』(上下巻)でも明かしているので大丈夫だと思います。
先日、たまたま89年のライガーデビュー戦の映像を観て、自分の実況を聴いたんです。下手なのはしょうがないにしても、問題なのは「山田!」と連呼してるんですよ(笑)。あれは改めて聴いても「僕は何を喋っているんだ?」「生まれ変わったんだから、ライガーでいいじゃないか」と、自分で思いましたからね。
――ライガー選手の場合、当時としては特殊なケースだったんですよね。正体不明のマスクマンではなく、「山田恵一がマスクを被ります」と公表してから変身するという。
ちゃんと原作者の永井豪先生と顔合わせをして、記者発表もしてるんですよね。だけど、やっぱりマスクマンとして新しい命を吹き込まれたわけだから、「山田ですよね!」っていうのは本当に失礼というか。「お前、平田だろ!」(編注:藤波辰爾が覆面レスラーのスーパー・ストロング・マシンに放った言葉。試合後のマイクパフォーマンスで、藤波はマシンの秘密を暴露してしまう)って言うのと同じくらい野暮なことを、僕は実況の中で言ってしまったんです。ただ、僕が「山田」という名前を出したのにも理由があるんですよ。
――どうしてですか?
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