連載:高校サッカー選手権 あのヒーローはいま

市船史上最高のストライカーと呼ばれた男 森崎嘉之はなぜJリーグで輝けなかったのか

栗原正夫

「できる自信あったが…そこまでが大変」

市立船橋での華々しい活躍が、皮肉にもその後の森崎を苦しめた 【写真は共同】

 もちろん、出場機会がなかった理由は、メンタルだけが原因ではない。

「サッカー選手とはいえ、20歳前後の若者ですからね。まあ、お酒や女性関係を含め、いろいろありました(笑)。夜に食事に行けばJリーガーということでチヤホヤされ、ご馳走してくれる方もたくさんいたので。当時は寮生活だったのですが、寮には戻らずに直接、練習に行くこともありましたから。クラブはそういう姿勢を含めて全部知っていたんだと思います(苦笑)。練習終わりに風呂場で監督と一緒になっても逃げるように出たりして。積極的に話をして監督に一回でも『僕を使ってください』とか言えば良かったんでしょうけどね」

 ジェフ市原の1学年先輩には同じく高校サッカーのスター選手だった城彰二がいた。同じポジションのライバルではあったが、一緒に過ごす時間も多かった。だが、城が日本代表に上り詰めたのとは対照的に、森崎に出番は回ってこなかった。

「いまとなれば、起用する方は冒険できないのも分かります。ただ、出られないヤツの偏見でしかないんですが、当時の監督は好きな選手ばかりを使っていて、なんのためにサッカーをやっているんだろうって思ってしまった。同じように使ってもらえたら、できるという自信はありましたが、そこまでが大変。プロとはいえ実力だけではダメで、一般の社会と一緒で上手な人間関係が築けなければ、チャンスすらもらえないですから。そんな状況で気持ちはマイナス、マイナスの方に行ってしまい、試合を見ても正直負ければいいのにって思ってしまうなど悪循環でしたよね」

 高校選手権に憧れてサッカーに熱中し、夢だった全国制覇まで成し遂げたが、のちにそれが仇となったこともあった。

 高校選手権での森崎の活躍を知るサポーターやファンにとっては、プロですぐに活躍できて当然という考えがあったのだろう。「そういう目がいちばんキツかった」と笑うが、サテライトリーグ(控えメンバーによるリーグ戦)で試合に出れば、観客席はまばらにもかかわらず、「なに天狗になってんだ!」「もっと走れ!」などと容赦ないヤジが飛んできた。

 結局、2年でジェフ市原から戦力外通告を受けた。まだ20歳で、ほかのJクラブでプレーするチャンスもうかがったが、そううまく事は運ばなかった。

「Jリーグのクラブ間でも、僕の行動が良くないという話が大げさに流されたようで。実際に大人って怖いなと思いましたね。ジェフでやっていた2年間を振り返っても、一緒にやっていた選手を含めてズルい世界だなっていうのは強く残っています」

「ホントにクズ」すべて自分が招いたこと

環境が変わっても、森崎がサッカーに真面目に取り組むことはなかった。そして引退後、サッカーから距離を置いた 【栗原正夫】

 その後は旧JFLの水戸ホーリーホックで半年、関東リーグの横河電機サッカー部(現東京武蔵野シティFC)で2シーズンプレーしたものの99年に引退した。

「当時はいまみたいにJ2とかJ3はなかったですから。セレクションに行っても、JリーグとJFLの環境は大きく違っていて『えっ! ここでやるの?』って感じで、そう思ったのは僕だけじゃないはずですよ。水戸も横河電機もプロじゃないので、働いている選手がほとんど。そこでせっかく仕事まで用意してもらっても、3日しか続かなかった。練習は午後からだし、朝10時からパチンコ屋に並んでましたから、ホントにクズでした(笑)」

 もう少し真面目に取り組んでいたら、違ったサッカー人生を送れたのではないか、森崎にそんな思いがないわけではない。ただ、すべては自分の行いが招いたこと。どこに行っても結果は同じだった、とも話した。

「活躍できないからふて腐れたわけじゃなく、自分が思っていたような社会じゃなかったってことですかね。心が折れたとかそういうことよりも、つまらないと感じてしまった。前から守備しろって言われても、そんなの分かってるんですが、それができなかった。僕だけが特別に不真面目だったとは思わないですが、たぶん、もっと上の領域に行く人は、試合に出て点を取って周りを黙らせちゃうんでしょうね。最後は、横河をJFLに上げましたが、上げたあとの監督がめちゃくちゃ走らせる監督で、もう気持ちがついて行かずにやめました(笑)」

 その後は約10年間、サッカーとは距離を置いていた森崎。だが、いまは自身でサッカースクールを立ち上げただけでなく、シニアチームでボールも蹴っているというのである。(敬称略)

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森崎嘉之(もりさき・よしゆき)
1976年4月20日、千葉県出身。朝日ヶ丘中学で千葉県大会3位。市立船橋高校では1年時から試合に出始め、インターハイ(92年)準優勝を経験。2年時には日本ユース代表候補に選出され、3年時に第73回全国高校サッカー選手権で優勝。同大会では8得点で得点王に輝き、日本高校選抜にも選ばれる。その後、ジェフユナイテッド市原に入団し、水戸ホーリーホック、横河電機でプレーしたあとに引退。現在はサッカーの指導者として活躍。ドリームサッカースクール(八千代市)代表を務める。 https://www.dream-ss-sc.com/

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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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