連載:井上尚弥、さらなる高みへ

ドネアを信奉する日本人ボクサーの告白「憧れであり、アイドルであり、教科書」

船橋真二郎

井上も名勝負に挙げたモンティエル戦

井上も以前に心に残る名勝負として挙げた、モンティエル戦。このときのドネア(写真右)はわずか2RでTKO勝ちを収めている 【写真:ロイター/アフロ】

 その“後出し”で試合を決定づけた最たる例が、11年2月のフェルナンド・モンティエル(メキシコ)戦だろう。

 前年にはWBO世界バンタム級王者として来日し、10連続防衛中のWBC同級王者・長谷川穂積(真正)との“事実上の王座統一戦”に臨んで4回ストップ勝ち。日本に強い印象を残したモンティエルだったが、ドネアはフィニッシュラウンドとなる2回、またしても左フックで衝撃のノックダウンを演出する。

 モンティエルの右フックを追いかけるようにして振り抜き、テンプル(こめかみ)を捉えた左。この一撃で全身を硬直させ、ゴロリと転がったモンティエルは仰向けのまま、痙攣(けいれん)した両足でバタバタと宙を掻いた。

 この戦慄的シーンと、あの長谷川に勝ったモンティエルをワンパンチで倒したというインパクトが相まって、日本のボクシングファンの間でもドネアの存在感は絶大になる。以前、専門誌『ボクシング・ビート』の企画で平成生まれのトップボクサーに心に残る名勝負を聞いたことがあるが、井上が真っ先に挙げたのが、彼が高校当時のこのモンティエル戦だった。

 もちろん赤穂にとっても印象に残る試合のひとつになった。

「モンティエルはよく、あの右ストレートを打つフェイントをちょっと入れてからの右フックを打つんですよね。ドネアも軽くもらってるんですけど、ここってタイミングで合わせに行ってのあのダウン。ボクシングって芸術だなって思いましたね」

実力で認めさせたパートナーの座

2人は2015年に1カ月間スパーリングパートナーとして拳をぶつけた。赤穂(写真左)にとっては夢のような時間に 【写真提供:横浜光ジム】

 だからこそ、ドネアのスパーリングパートナーを務め、同じ空間で練習した15年3月の1カ月は赤穂にとって夢のような時間だった。

 セブのALAジムには、それまでにも3度合宿で訪れるなど、関係が深かった。フライ級から数えて5階級目となるフェザー級の強打者ニコラス・ウォータース(ジャマイカ)にキャリア初のKO負けを喫したドネアが、フィリピンで再起戦を計画し、ALAジムで調整するという情報を石井一太郎・横浜光ジム会長がキャッチ。ALAプロモーションと契約し、同じ興行で赤穂の試合を組んだが、スパーリングができるかは確約されていたわけではなかった。

 当然、ライバルは多い。アメリカで輝かしいキャリアを築いたドネアがフィリピンのリングに凱旋(がいせん)するのは、6年ぶりのことだった。ALAの猛者たちが手ぐすね引いて、母国のヒーローを待っていた。その中には今回、井上のパートナーを務めた現WBO世界スーパーバンタム級2位アルバート・パガラ(フィリピン)もいた。

 ドネアがALAに入り、スパーリング初日の相手に選ばれたのが赤穂とパガラだった。最初に赤穂が4ラウンド、続いてパガラが4ラウンド。長年、師と仰ぎ見てきた存在との手合わせは、テストのような心境でもあった。

 スパーリングを終えたドネアが近づいてきて、語りかけてきた。

「アカホは僕と似ていて、ほんとに速いね! スピードでは負けたけど、今度は負けないよ。次もできる?」

 ドネアに認められ、実力でパートナーの座を勝ち取ったのである。それから週3回、同じようにふたりずつ交代でドネアの相手を務める中、赤穂は固定のパートナーとして毎回、拳を交えることになる。

<後編に続く>

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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