バレーW杯で得た自信が五輪につながる 山本隆弘の記憶に残る衝撃的なブラジル戦
「全部自分で決めてやる」という強い気持ちて戦ったという山本氏に、W杯の思い出を振り返ってもらった 【撮影:熊谷仁男】
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9位に終わったにもかかわらずMVP
大会MVPに輝いた03年W杯。しかし、途中で捻挫をしてしまい、悔しい結果に終わった 【写真:アフロスポーツ】
当時は上位3チームに五輪出場権が与えられたので、「獲れるものなら獲りたい」と思っていました。世界選手権は出場国が多く歴史も長いですが、やはり「五輪」が絡むW杯はまた特別な大会。過去、W杯で出場権を獲ったチームが五輪でも必ずと言っていいほどメダルを獲っています。まさしく、「五輪前哨戦」と呼ぶにふさわしい大会だと思います。
――山本さんが出場された頃、日本代表はどんなチームでしたか?
00年に初めて代表に選ばれたときはまだ、ガイチ(中垣内祐一・日本代表監督)さんがいて、僕はまだ学生でした。同世代の選手も多くて、最初は学生選抜の延長みたいな感じでしたが、やることはきっちりしていたし、規律もありました。僕は洗濯当番だったのに洗濯機を回したまま出かけてしまい、夜になって気づいたときにはもう遅かった。次の日に練習でめちゃくちゃ絞られたこともありましたね(笑)。
――03年にW杯初出場。当時の成績は9位でしたが山本さんは総得点で1位、MVPを受賞しました。
9位のチームの選手がMVPはダメだろ、ということであれから規定が変わりました(笑)。でも当時は1人がひたすら打って勝つというバレースタイルだったので、役割を全うした結果でした。最初の東京ラウンドで3連勝して、広島で2連敗したけれど、次の福岡でベネズエラ、韓国、チュニジアに勝てばトップ3に入れる可能性もあった。でも最初のベネズエラ戦でスパイクを打った後、着地で相手が出してきた足に乗ってしまい捻挫をしてしまいました。ドクターストップがかかった状態でしたが、痛み止めを飲みながらその後の試合に出場しました。ですが、勝つことはできず9位で終わってしまったのが残念でした。
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