
女子に続いて10月1日から「FIVBワールドカップ(W杯)バレーボール男子大会」が開幕する。昨年の世界選手権はイタリア開催だったため(1次ラウンドはブルガリアでも開催)、日本ではあまり試合の様子を目にする人も多くはなかったが、日本開催となる今大会は連日テレビ中継もされ、多くの注目を集める。2003年のW杯で“スーパーエース”としてチーム、そして出場全選手の中で最多得点を挙げ、MVPを受賞した山本隆弘さんに、現役時代のW杯について、そこで得た自信が五輪につながった経緯について振り返ってもらった。
9位に終わったにもかかわらずMVP

――現役時代を振り返って、「W杯」いう大会はどんな位置づけの大会でしたか?
当時は上位3チームに五輪出場権が与えられたので、「獲れるものなら獲りたい」と思っていました。世界選手権は出場国が多く歴史も長いですが、やはり「五輪」が絡むW杯はまた特別な大会。過去、W杯で出場権を獲ったチームが五輪でも必ずと言っていいほどメダルを獲っています。まさしく、「五輪前哨戦」と呼ぶにふさわしい大会だと思います。
――山本さんが出場された頃、日本代表はどんなチームでしたか?
00年に初めて代表に選ばれたときはまだ、ガイチ(中垣内祐一・日本代表監督)さんがいて、僕はまだ学生でした。同世代の選手も多くて、最初は学生選抜の延長みたいな感じでしたが、やることはきっちりしていたし、規律もありました。僕は洗濯当番だったのに洗濯機を回したまま出かけてしまい、夜になって気づいたときにはもう遅かった。次の日に練習でめちゃくちゃ絞られたこともありましたね(笑)。
――03年にW杯初出場。当時の成績は9位でしたが山本さんは総得点で1位、MVPを受賞しました。
9位のチームの選手がMVPはダメだろ、ということであれから規定が変わりました(笑)。でも当時は1人がひたすら打って勝つというバレースタイルだったので、役割を全うした結果でした。最初の東京ラウンドで3連勝して、広島で2連敗したけれど、次の福岡でベネズエラ、韓国、チュニジアに勝てばトップ3に入れる可能性もあった。でも最初のベネズエラ戦でスパイクを打った後、着地で相手が出してきた足に乗ってしまい捻挫をしてしまいました。ドクターストップがかかった状態でしたが、痛み止めを飲みながらその後の試合に出場しました。ですが、勝つことはできず9位で終わってしまったのが残念でした。
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