連載:夏を待つ高校野球の怪物たち

148キロ右腕が「人生で一番泣いた日」 前佑囲斗は悔しさを糧に最高の夏を目指す

高木遊

センバツでは平安を相手に堂々たる投球

「人生で一番泣いた日」をバネに成長を遂げた津田学園・前 【写真は共同】

 力みのない動きから指先にしっかりと力を伝え、キレの良いボールを投げ込む右腕・前佑囲斗(津田学園)は甲子園で大きな注目を浴びた。

 1回戦の龍谷大平安戦で延長11回170球を投げ、打たれたヒットはわずかに4本。ピンチになるとギアを上げて、球速以上の伸びを感じる130キロ台後半のストレートを投げ込み連続三振を奪った。11回に四死球で招いたピンチから長打を打たれ0対2で敗れたものの、春夏合わせて甲子園出場75回、優勝4回の名門に対して堂々の投球を見せた。
 三重県亀山市で生まれ、関パワーキッズで軟式野球を始めた。中学時代は硬式野球の津ボーイズに所属。2年時に全国大会出場を果たすも、エースとなった3年夏は予選の決勝で敗退。球速は常時120キロほどだった。

 津田学園に入学したきっかけは2歳上の兄・恵弥の存在だ。指導や部内の雰囲気が良いことを理由に勧めてくれた。佐川竜朗監督は「お兄ちゃんはけが持ちでベンチ外だったのですが、一生懸命な選手でした」と目を細める。そして、弟である佑囲斗には「ヒョロッとした体格でまだ完成していない分、まだまだ伸びる可能性を感じました」と第一印象を語る。
 2006年から同校に赴任し、08年から現職の佐川監督は現役時代、PL学園で前川勝彦(元近鉄など)、荒金久雄(現ソフトバンクスカウト)らとともに甲子園に出場している。その後も明治大、日本通運で主に外野手として活躍し、ドラフト候補になったアマチュア球界の名選手だ。

 しかし、指導では自身の経験を押し付けるのではなく「伝統校ではない子たちに合った野球を」と、自主性や主体性を大事にした指導をしている。食事のノルマを課す“食トレ”も「嫌々食べても仕方ない」と課していない。

 その中で前は、自主的に食事やトレーニングに励んで20キロもの増量に成功。体の成長とともに、球速が2年春には130キロ台後半を計測するなど着実に成長。公式戦でも登板するようになった。

2年夏の県大会が分岐点に

センバツでは快投を見せるも、延長11回に2失点し初戦敗退 【写真は共同】

 ターニングポイントとなったのは、本人も佐川監督も「2年夏の三重大会初戦」と口をそろえる。県下ナンバーワンの進学校である四日市を相手に苦戦し、前は2点をリードした8回無死満塁の場面で3番手として登板。いきなり連続三振を奪うが、不運な当たりの安打で同点とされると、延長12回には四球で出した走者を左中間への二塁打で還されサヨナラ負け。2回戦で敗退し、先輩たちとの短い夏を終えた。

「人生で一番泣いた日だと思います。グラウンドに帰ってくるまでバスでもずっと泣いていました」と、前は当時を振り返る。

 翌日、佐川監督に「成長は確かに見えたから、これからも努力を継続しろ」と声をかけられ、直後の練習から目の色を変えた。指揮官も「本当の意味で悔しさを味わったことが成長を生みました。ストイックになりましたね」と振り返る。

 また、投球スタイルもそれまでは力任せだったが、球のキレの大切さを認識し、現在のうまく脱力をしたフォームへと変わっていった。すると球速も伸びて、最速で148キロを計測するまでに成長。秋の三重大会と東海大会で好投し、津田学園を17年ぶり3回目のセンバツ甲子園出場に導いた。

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著者プロフィール

1988年、東京都生まれ。幼い頃よりスポーツ観戦に勤しみ、東洋大学社会学部卒業後、スポーツライターとして活動を開始。関東を中心に全国各地の大学野球を精力的に取材。中学、高校、社会人などアマチュア野球全般やラグビーなども取材領域とする。

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