数々のドラマを生み出したNBAドラフト マイケル・ジョーダンも3番目指名だった

 6月21日(現地時間20日)にニューヨーク州ブルックリンにあるバークレイズ・センターで行われる「NBAドラフト2019」は、ここ日本でも大きな注目を集めている。それはほかでもない、八村塁がNBA入りへの扉をこじ開ける瞬間となるからである。

 ゴンザガ大3年終了後にアーリーエントリーした八村は、今年のドラフトで1巡目指名が確実視されている。今夏に中国で行われる「FIBAワールドカップ2019」でも活躍が期待されている日本の至宝は、ドラフトという華やかな舞台において、精かんな表情と親しみやすい笑顔の両面で世界中を魅了することだろう。

 八村が指名されれば、1981年のドラフトでゴールデンステイト・ウォリアーズから8巡目全体171位で指名された岡山恭崇(NBAではプレーせず)以来、日本人としては史上2人目、1巡目指名となれば歴史的な快挙として、今後もずっとドラフトの歴史に名を残すこととなる。

 ドラフトという一大イベントが近づく中、ここではこれまでに起きたドラフトにおけるドラマを5つ紹介していきたい。

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(1)1984年:史上最高の選手と評されるジョーダンは「3番目」指名だった

「神」と呼ばれるマイケル・ジョーダンも、ドラフトでは意外にも3番目の指名を受けていた 【Getty Images】

 90年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝へと導き、92年にはドリームチームの一員として五輪・バルセロナ大会で世界的なスーパースターとしての地位を確立したマイケル・ジョーダン(元ブルズほか)。ノースカロライナ大3年次には平均19.6得点を残したものの、ドラフト指名は全体3位だったのをご存じだろうか。ビッグマン全盛期だったこともあり、ジョーダンの前に2人のビッグマンが指名されている。

 この年のドラフトでいの一番に指名されたのは、のちにヒューストン・ロケッツを94、95年に2連覇へと導く立て役者となったアキーム・オラジュワン(元ロケッツほか)。213センチの長身ながら、オラジュワンはフォワードのように軽やかに動くことができ、オフェンスとディフェンスの両面に秀でたスーパースターだった。

 一方、全体2位でポートランド・トレイルブレイザーズから指名されたサム・ブーイ(元ブレイザーズほか)は、216センチの高さだったものの、ケガに苦しみ、10年でNBAキャリアを終えてしまう。とはいえ、当時このチームにはジョーダンとタイプの似たクライド・ドレクスラー(元ブレイザーズほか)がいたため、理にかなったドラフト指名ではあった。

 当時ブルズのジェネラルマネージャーを務めていたロッド・ソーンは、2017年に「われわれは彼(ジョーダン)が7フッター(213センチ以上)であることを願っていたが、そうではなかった。ただ、あの年のドラフトではセンターが残っていなかったんだ」と『シカゴ・トリビューン』へもらしていた。だが84年夏の五輪・ロサンゼルス大会でジョーダンはチームトップの平均17.1得点をたたき出し、米国代表を金メダルへと導く殊勲者に。その後リーグのスーパースターへの階段を駆け上がっていったのである。

(2)2002年:米国でプレー経験を持たない中国の巨人ヤオ・ミンが全体1位指名

アジア人初のドラフト1位指名を受けたヤオ・ミン 【Getty Images】

 この年の全体1位指名権を持っていたロケッツは、中国出身で229センチの「巨人」ヤオ・ミン(元ロケッツ)を指名。これまで米国以外の出身選手が全体1位指名されてきたことはあったものの、米国の高校や大学でプレー経験のない選手が全体1位指名されたのはヤオが初の快挙だ。

 度重なる足のケガにより、ヤオはキャリア9年(うち1年はケガのため全休)で引退となったものの、キャリア平均19.0得点9.2リバウンド1.9ブロックという堂々たる成績。8度のオールスター選出に加え、オールNBAチームには5度選ばれており、16年にはバスケットボール殿堂入りも果たした。

 新人王こそアマレ・スタッダマイヤー(元フェニックス・サンズほか)に譲ったものの、ヤオは中国のみならず、米国でも人気者となり、見事なキャリアを送ったと言っていいだろう。

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