二川孝広が見いだした新たなやりがい
元ガンバの10番は、時の流れに身を任せる

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今では希少となった「10番」タイプの選手たち。二川の「これぞファンタジスタ」と唸らせるプレーが見たい
今では希少となった「10番」タイプの選手たち。二川の「これぞファンタジスタ」と唸らせるプレーが見たい【撮影:熊谷仁男】

 トップチームと分かれるかたちでガンバ大阪U-23が開設された2016年、二川孝広はトップには入れず、U-23でプレーすることになった。しかしオーバーエイジ枠があるといえども、普段はU-23で練習していない、かつトップで試合に出ていない選手がその枠を使い、二川が常に試合に出られるとも限らない。状況を打開するべく、二川は東京ヴェルディへの移籍を決意。そこから流転の人生が始まり、地域リーグでの活動にたどり着く。


 ユースからG大阪トップチームに昇格した1999年から20年、サッカーそのものも大きくその姿を変えているいま、古典的な10番の香りを残す二川は、新しいやりがいをFCティアモ枚方に見いだしている。

ユース時代から過ごしたガンバを去る決断

プレースタイルとともに、その“控えめなキャラ”でいまだ多くのファンに愛されている
プレースタイルとともに、その“控えめなキャラ”でいまだ多くのファンに愛されている【撮影:熊谷仁男】

――初めての移籍が東京Vでした。ヴェルディについては、アカデミーの頃はどう思っていました?


 ヴェルディは意識はしていないですね。やっぱり関東のチームなので。試合することもなかなかなかったですし。


――関西でライバル視するチームというと?


 やっぱりセレッソ大阪じゃないですか。


――顔見知り同士?


 僕の時代はセレッソの選手に知っている人も少なかったので、そこまで選手同士でどうこうっていうのはなかったですけれど、チームとしては、周りから「セレッソだけには負けるな」という雰囲気があったので、そういうところで自然と意識付けはしていったという感じです。


――二川さんは他クラブのサポーターにもかなり認知されていて、移籍するとなった時に「大丈夫かな?」と心配した人も多かったと思います。ユースから育ってきたガンバならいざしらず、よそのチームに行って、と。実際、東京に行ってみてどうだったんですか?

後藤勝

サッカーを中心に取材執筆を継続するフリーライター。FC東京を対象とするWeb/メールマガジン「トーキョーワッショイ!プレミアム」(http://www.targma.jp/wasshoi/)を随時更新。著書に小説『エンダーズ・デッドリードライヴ 東京蹴球旅団2029』(カンゼン刊 http://www.kanzen.jp/book/b181705.html)がある。【Twitter】@TokyoWasshoi

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