連載:フィギュアスケート平成プレイバック

荒川静香、金メダルまでの感動秘話 専門記者が選ぶ名シーン【平成11〜20年】

構成:スリーライト
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「平成」もあと20日余り。ということで、長年フィギュアスケートを取材してきた折山淑美氏、辛仁夏氏、野口美恵氏に、平成のフィギュアスケート史を振り返ってもらった。第2回はソルトレークシティ五輪2002年(平成14年)、トリノ五輪2006年(平成18年)が開催された平成11年〜平成20年までをプレイバック!

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金メダルを目指して動き出した平成中期

本田武史は日本男子フィギュア界のパイオニア的存在。メダルにあと一歩と近づいた 【Getty Images】

――平成10年(1998年)の長野五輪で15位だった本田武史さんが、平成14年(2002年)のソルトレーク五輪で4位と躍進しました。



(映像を見ながら)

野口:ショートプログラムで2位になって「メダル獲れるか!」「なんとか銅メダルまでには!」と祈るような気持ちで見ていました。ソルトレーク五輪で本田さんのショートプログラムは本当に神懸かっていました。メダルを獲れると思いましたよね?

:思いましたね。

野口:高いよね〜。本田さんよりも高いトリプルアクセルは見ていない気がします。4回転ジャンプも本田さんが一番高いと思います。時代が違えば、4回転アクセルも本田さんが最初に決めていた可能性がありますね。

折山:体の締め方といった技術面はどんどん洗練されていきます。あらためて映像を見てみると、当時はまだ始めたばかりということもあって、今と比べると粗く感じますよね。

野口:当時は本人の能力次第でしたが、今は「こうすれば跳べる」という理論が確立されていますからね。なおかつ、インターネットでいつでも動画が見られる時代です。

――動画がない当時は、みんな感覚でやっていたのですか?

野口:成功している海外の選手の映像も見られないし、試行錯誤だったと思います。
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