「君は、八村塁を見たか!」 田臥勇太の衝撃から14年…歴史が変わる
かつて田臥勇太がいた世界を思い出す
ゴンザガ大で活躍する八村塁。今年6月のNBAドラフトで上位指名が有力視されている 【Getty Images】
フェニックスからは北へ車で約2時間半の距離。手前には赤褐色の岩山が連なり、パワースポットとしても知られるセドナという観光地がある。人の流れはそこで止まり、フラッグスタッフまで足を伸ばす人は少ないが、言わずと知れた高地トレーニングのメッカだ。
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「ハッ、ハッ、ハッ」
少し走れば、息が上がる。すでにオールスターにも出場していたショーン・マリオンが膝に手をつき、大きく体全体で息をしていた。そのとき、田臥もこう言って苦笑した。
「出だし、きついですね。アップとか、結構息上がります」
もちろん、彼一人ではない。
「みんな上がっていました」
キャンプが始まって2日目の午前練習が終わった後、田臥はふくらはぎをマッサージローラーでほぐしながら取材に応じたが、ふと彼が口にしたこんな一言を機に全体を見渡したとき、さまざまな思いが去来した。
「ああやってスタメンでやっている連中でも、最後までシューティングを残ってやっている」
コートの上にはマリオンも、その後、7度のオールスターに選ばれ、2018年までプレーする若きジョー・ジョンソンも、その年から2年連続MVPを獲得するスティーブ・ナッシュもいた。
田臥は紛れもなく、その一部だった。
2004年、日本バスケ史に刻んだ1ページ
2004年、日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥勇太。開幕戦を含む4試合に出場した 【写真は共同】
田臥がNBAでデビューした2004年といえば、イチローが262安打を放ち、ジョージ・シスラーの年間最多安打記録を更新した年とも重なる。
大リーグではもう日本人選手が珍しくなく記録さえ作ってしまう時代だったが、NBAではコートに立った日本人選手がいなかった。
田臥もその前年、ナゲッツの一員としてプレシーズンゲームには出場したが、最後まで残ることはできなかった。
やはり無理なのか――。
しかし、2度目の挑戦となった2004年、たたき続けた扉が開こうとしていた。
田臥が続ける。
「昨日、ナッシュに言われたんですよ。『ミスを恐れずに、やっていった方がいい』って」
何気ないそんな会話自体、こんな時代が来たのかと、感慨深かった。
田臥は結局、開幕ロースターにこそ名を連ねたものの、4試合、計17分に出場しただけで、チームを離れることになった。7得点、3アシスト、4リバウンド。それが、彼がNBAで残したすべて。