連載:僕らがセンシュケンから教わったこと

小川航基「選手権の怖さなのかな。ようやく“あのPK”から解放された」

細江克弥
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小川航基にとって、高校サッカー選手権は“PKにまつわる物語”の発端となった 【樋口涼】

 その長い歴史において、高校サッカー選手権は何人もの“超高校級”ストライカーを輩出してきた。

 山田隆弘、小倉隆史、森崎嘉之、柳沢敦、大久保嘉人、平山相太、大迫勇也――。彼らの系譜を継ぐ最も直近の“超高校級”が、桐光学園のエースとして第95回大会(2015年度)に出場した小川航基だ。もっとも、彼は、中学時代から脚光を浴びた天才肌ではなかった。選手権を意識し始めた中学時代、地元・神奈川の公立中学でプレーしていた小川は、プロになることさえ「まったく考えていなかった」と振り返る。

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明らかな力の差を感じた、初めての選手権

――選手権を意識し始めたのはいつ頃ですか?

 あれ、いつだったかな。滝川二(兵庫)と久御山(京都)の決勝戦(第89回大会/2009年度)を観て、すごく感動したのを覚えています。滝川二は、樋口寛規さんと浜口孝太さんの“ダブル・ブルドーザー”でしたよね。自分は中2だったと思うんですけど、あの試合を観て「俺も頑張らなきゃ」と思いました。僕はとにかく目立ちたがり屋なので、どこかのユースではなく、高校サッカーでやりたいと思っていました。ずっと。

――その頃はもう、本気でプロになることを目指していた?

 いや、全然です。目指してもいないし、正直なところ、自分がプロになれるなんて思っていませんでした。だって、神奈川県選抜のセレクションにさえ行ったことがないんですよ。最後に選抜チームに入ったのは小学生の時。横浜市内の、さらに地元の区選抜だけ。

 だから、桐光学園はどうして僕に声をかけてくれたんだろうと今でも不思議に思っていて(笑)。僕自身は「え? 俺が桐光に行けちゃうの!?」という感じでした。ただ、「神奈川で選手権に出るなら桐光」というイメージはあったので、他の選択肢はまったく考えませんでした。

――桐光に行くことを「怖い」と感じることはなかった? 通用しないかもしれないし、試合に出られないかもしれないと。

 ワクワク感のほうが大きかったことは覚えているので、たぶん、あまり気にしていなかったんだと思います。入ってみたら「やれる」と思えたし、そのままインターハイ(全国高校総体)県予選から試合で使ってもらうようになって、最初の試合で点を取りました。友達からは「1年から出るなんてすげーな」と言われて、うれしかったことを覚えています。

 ただ、選手権では力の差を感じました。忘れられないのは3回戦の四中工(三重)戦。0−1で負けていて、ラストのビッグチャンスでシュートミスをしてしまったんですよ。3年生を引退させてしまったあのシーンが、今でも悔しい。大舞台に慣れていなかったんですよね。あれだけの観客がいる中でプレーしたことがなかったし、僕の場合、ああいう環境になると余計なことを考えちゃって……。
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著者プロフィール

1979年生まれ、神奈川県藤沢市出身。『ワールドサッカーキング』『Jリーグサッカーキング』『ワールドサッカーグラフィック』編集部を経て2009年に独立。サッカーを中心にスポーツ全般にまつわる執筆、アスリートへのインタビュー、編集&企画構成などを手がける。

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