連載:アスリートのビクトリーロード

伊藤美誠(卓球)が語る金メダルへの道 「感覚と、ひらめきを大切に」

高樹ミナ
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提供:味の素株式会社

卓球界の若きエース、伊藤美誠が「勝利のため」に実践していることとは? 【千葉格】

 勝利のために。トップアスリートは試合に勝つため、世界に勝つため、自分に勝つために、日々たゆまぬ努力を続けている。本連載「ビクトリーロード」では、さまざまなアスリートがこれまで歩んできた、そしてこの先に思い描く「勝利への道筋」をひもとく。聞き手は、自身も競泳選手として北京2008オリンピック、ロンドン2012オリンピック、リオデジャネイロ2016オリンピックで4つのメダルを獲得してきた競泳の元日本代表選手で、現在はコメンテーターなど幅広いジャンルで活躍し、味の素(株)の栄養プログラム「勝ち飯®」アンバサダーの松田丈志が務める。

 第3回に登場する伊藤美誠が卓球を始めたのは、3歳になる少し前。厳しくも愛情あふれる母の指導により、めきめきと頭角をあらわした負けず嫌いの少女はトップ選手への階段を駆け上がり、いつしか日の丸を背負って戦う頼もしいアスリートに成長した。そして迎えた2016年の夏。わずか15歳にしてリオデジャネイロ2016オリンピックの大舞台に立つと、初出場で女子団体銅メダルを手にする離れワザをやってのけた。

 伊藤美誠、おそるべし。誰もが認める彼女の強さは独創的なプレーと戦術、強いメンタリティーに秘密があるといわれるが、リオ2016オリンピック後にはフィジカル強化にも取り組み、さらなる強さを手に入れた。そんな彼女ももうすぐ18歳。進化が止まらない伊藤に競技のことやカラダづくりのこと、密かに抱えるプレッシャーやライバルたちとの関係、そして開幕までいよいよ2年を切った東京2020オリンピックへの熱い思いを聞いた。

初のオリンピックは「楽しくて楽しくて仕方なかった」

リオ2016オリンピックでは女子団体で銅メダル獲得 【Getty Images】

松田:こうして会うのはリオ2016オリンピック以来ですね。ぼくら競泳チームの数人で卓球女子団体の準決勝を応援に行ったんですが、覚えていますか?

伊藤:よく覚えています。観客席ですごく目立っていたので記憶に残っています。とても力になったし、「来てくれたんだ」とありがたい思いでいっぱいでした。

松田:会場はものすごい声援だったので、これは自分たちも負けずに日本チームを盛り上げるしかないと思ったんです。試合は惜しくも負けてしまいましたが、見事に銅メダルを獲得しましたね。あの時、伊藤選手はまだ15歳でオリンピック初出場。競泳界でも初めての出場で力を出して、しかもメダルを取るって、ものすごく難しいことだと言われていますけれども、それができた要因は何だったと思いますか?

伊藤:オリンピックの雰囲気を楽しめたことが一番かなと思います。大会前は周りから「本番が近づくと緊張するよ」と言われていたんですけれど、近くなればなるほどワクワクしてきて、大会に入ってからも楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。先輩が引っ張って下さったおかげで自然と入って行けて、良い結果につなげられました。本当に感謝しています。

松田:オリンピックを経験してメダリストにもなって、ご自身の中で変わったことはありますか?

伊藤:リオ2016オリンピックの後、周りから一目置かれるようになったことは試合をする上で大きいと思います。それまでは対戦相手に「まだ15歳の女の子だから勝てるだろう」という感じで見られがちでしたが、オリンピックのメダルを取ってからは世界トップの中国人選手からも意識されるようになりました。選手としてとてもうれしいことです。ただ、その一方で少しプレッシャーを抱えてしまった部分もありました。口では「プレッシャーは感じません」と言っていたけれど、リオ2016オリンピック後の1年間は調子が良くない時期が続きました。

「好きじゃなかった」練習をするようになった理由

オリンピック後は苦しい時期もあったが、それをバネに成長したと語る 【千葉格】

松田:リオ2016オリンピック翌年の17年は、相当苦しんだようですね。

伊藤:めちゃめちゃ苦しかったです。私の持ち味は楽しんでプレーすることなのに、全く卓球を楽しめなくなって……。オリンピックのメダリストにふさわしい成績を残さなければ、という思いが強すぎたみたいで、いくら練習しても試合で勝てなくなりました。それまではプレッシャーを力に変える方だったんです。だからそういうのは初めての経験で、「自分にもこんなことあるんだな」と驚きました。

松田:リオ2016オリンピックが終わるまで張り詰めていた反動もあったと思います。

伊藤:そうですね。それに卓球って基本的にオフシーズンがないので、1年中、大会があって気の休まる暇がないんです。だから気持ちの切り替えがなかなかうまくいきませんでした。

松田:でも、その1年間があったからこそ今がある、という部分もあるのではないですか?

伊藤:それはあります。思うように結果が出ない中で、「自分は変わらなければならない」と本気で思えたからです。特に大きかったのはフィジカルとフットワークの強化に取り組んだことです。私のプレースタイルは「前陣速攻型」といって、卓球台からあまり距離を取らず速いピッチで連打するスタイルなので、あまり足を動かさない「省エネ卓球」とも言われてきました。自分でもその自覚はあったんですけれど、プレーの幅も質も高めるにはもっと足を使って「動く卓球」をしていかなければならないと考え、最近はやっていなかったフットワーク練習などの基礎練習を徹底的にやりました。

松田:それまで基礎練習はあまりやらなかったんですか?

伊藤:私、試合形式が好きで、基礎練習は小さい頃、うんとやったからいいだろうって高をくくっていたんです。コーチからも、母からも基礎練習を勧められてはいましたが、練習でも試合でも感覚やひらめきを大事にしているので、決められたことを黙々とやる基礎練習は苦手でした。

 でも練習内容をガラリと変えて、反復練習を何度も何度もやって、トレーニングでも自分を追い込んだ結果、また徐々に試合で勝てるようになり、翌18年1月の国内大会(※1)で女子シングルスとダブルス、混合ダブルスの3冠制覇を達成することができました。また、5月の世界大会(※2)の団体で女子銀メダル、6月の世界大会(※3)女子シングルスでも優勝することができました。

【味の素(株)】

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著者プロフィール

スポーツライター。千葉県出身。 アナウンサーからライターに転身。競馬、F1、プロ野球を経て、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、10年バンクーバー冬季、16年リオ大会を取材。「16年東京五輪・パラリンピック招致委員会」在籍の経験も生かし、五輪・パラリンピックの意義と魅力を伝える。五輪競技は主に卓球、パラ競技は車いすテニス、陸上(主に義足種目)、トライアスロン等をカバー。執筆活動のほかTV、ラジオ、講演、シンポジウム等にも出演する。最新刊『転んでも、大丈夫』(臼井二美男著/ポプラ社)監修他。

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