「何で俺を選ばへんのや」と嘆いたあの日 南野、3年越しの代表初ゴールで反撃開始

元川悦子

森保ジャパン初陣で貪欲にゴールを目指した男

親善試合コスタリカ戦(3−0)で代表初ゴールを決めた南野(8) 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】

 北海道胆振東部地震の影響でチリ戦が中止になってから4日。森保一監督率いる新生日本代表が11日、ようやく初戦となるコスタリカ戦(大阪)を迎えた。ワールドカップ(W杯)ロシア大会の主力組の招集をあえて見送った新指揮官が、どのようなメンバーで初陣を戦うのかは非常に興味深い点だった。

 その陣容はロシア組の東口順昭や槙野智章、サンフレッチェ広島時代からの森保監督の秘蔵っ子である青山敏弘ら30代の経験豊富な選手をセンターラインに据え、それ以外のところに20代前半の若くフレッシュなメンバーを配する形。基本布陣もU−21日本代表と同じ3−4−2−1ではなく、過去の日本代表が長く採用して慣れている4バックを選択した。

 この中で、特に注目を集めたのは、20歳の堂安律、23歳の南野拓実、24歳の中島翔哉というアタッカー陣だった。中盤右に堂安、左に中島、南野は小林悠とタテ関係のFWという位置取り。「選手たちにはスペシャルな部分を出してほしい」と口癖のように言う新指揮官は、それぞれが最もプレーしやすいポジションで起用。彼らの躍動感に期待した。

 中島が得意のドリブルで積極的な仕掛けを見せ、堂安も時間を追うごとに高度なスキルや創造性を発揮し始める中、南野も彼らに負けじとゴールへの貪欲さを前面に押し出した。前半39分には遠藤航から出た浮き球のタテパスを小林が胸トラップした瞬間、飛び込んできた南野がフリーに。思い切りよく右足を振り抜いたが、GKの好セーブに阻まれてしまう。後半12分にも中島の左クロスにドンピシャのタイミングで頭を合わせるも、ボールが肩に当たってコントロールミス。2つのビッグチャンスを外してしまった。

デビューから3年越しの代表初先発&初ゴール

得点後、同じリオ五輪世代の遠藤と喜びを分かち合う 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

「でも僕は逆に『チャンスがあるな』『ゴールが近いな』と思っていた」と、南野は決してネガティブには捉えていなかった。オーストリアでの過去4シーズンでリーグ戦通算31得点という結果を残している男は、決定機を逃しても即座に頭を切り替える術(すべ)をすでに体得しているのだろう。それが後半21分のゴールにつながる。中島からのリターンを受けた遠藤が左足で折り返した瞬間、背番号8に迷いはなかった。体を反転させながら左足を振り抜き、豪快にネットを揺らすと、アシストした遠藤に抱きついて歓喜を爆発させたのだ。

「ホンマ、いいボールが来たんで、ワンタッチで打つか、トラップするか迷ったんですけど、相手の股さえ通ればGKから見えない。けっこう難しいボールだなというのは考えてトラップしました」と、彼は冷静に自身の代表初ゴールを振り返った。

 初キャップを飾った2015年10月のイラン戦(テヘラン)から2年11カ月。長い長い時を経て、南野はとうとうA代表の先発の座を射止め、代表初ゴールを奪った。かつて同じ8番をつけていたセレッソ大阪の大先輩・森島寛晃が02年W杯日韓大会のチュニジア戦で挙げた得点を家族みんなで見て、「いつか自分も日の丸をつけてこういう舞台に立つんだ」と決意してから16年。彼はその一歩を、ついに力強く踏み出したのだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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