岩佐亮佑、攻め切る覚悟示せず王座陥落 重要な一戦で乗り越えられなかったもの

船橋真二郎

IBF世界スーパーバンタム級王者の岩佐(右)は指名挑戦者のドヘニーに敗れ2度目の防衛に失敗した 【写真は共同】

「ずっと岩佐の課題なんですけど、勇気がもうちょっと必要。(パンチを)打ち込む勇気。それがないんですよね。負けていることが分かっているのなら、倒されてもいいから行くぐらいの覚悟が欲しかったし、その覚悟が今の岩佐に一番必要なもの。それを今日も感じましたね」

 セレス小林会長の言葉がすべてだろう。勇気、覚悟。それは師弟の掲げてきたテーマだったが、殻を打ち破ることはできなかった。自分を乗り越えることができなかった――。

 8月16日、東京・後楽園ホールで行われたプロボクシングのIBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチは、チャンピオンの岩佐亮佑(セレス)が指名挑戦者1位のTJ・ドヘニー(アイルランド)に0−3(112対117、112対116、113対115)の判定負け。昨年9月、大阪で小國以載(角海老宝石)から奪った王座の2度目の防衛に失敗した。

挑戦者に対し後手を踏み続けてしまった

序盤はジャブの差し合いで後れを取ってしまい、なかなか攻め込めなかった 【写真は共同】

 リングアナウンサーの絶叫もかき消すほどの大音量。岩佐の大応援団が発する大声援、ドヘニーの母国であるアイルランド、在住のオーストラリアから大挙して駆けつけたサポーターが奏でる大合唱が交差する。異様な雰囲気の中で開始ゴングが鳴ったサウスポー同士の一戦は、意外な構図を描くことになった。

 岩佐が追い、ドヘニーがかわす。“ザ・パワー”の異名を持つドヘニーは、好戦的に仕掛けてくるタイプと見られていたが、実に軽快なステップワークを見せた。1ラウンドこそ、終盤にワンツーで右目下を切り裂き、返しの右フックでぐらつかせ、岩佐がポイントを押さえたが、緒戦の右ジャブの差し合いでは後れを取っていた。

「もっとガンガン来るものだと思っていたけど、うまかったですね。ジャブが当たらなくて、左につなげられなかったから、単発で狙う感じになってしまった」(岩佐)

 じわじわと岩佐がかける圧力をはぐらかしながら、カウンターを合わせてくる。手が出ないと見ると踏み込んでパンチをまとめてくる。パターンはシンプルだが、たくみに押し引きするドヘニーの前に後手を踏み続け、岩佐はずるずるとラウンドを重ねた。

ドヘニーのトレーナーにはベルト奪還の戦いだった

 ドヘニーの“変身”の陰には、2年前から指導を仰ぐトレーナーのヘクター・ベルムデスの存在があった。拠点のシドニーから米国ボストンに出向き、トレーニングを積んできた。ボストンや近郊で試合も3戦した。公開練習のとき、この間に「プロの長いラウンドに対応できるボクシングを身に付けてきた」とベルムデスは語っていた。

 ベルムデスは日本でもお馴染みのジョナタン・グスマン(ドミニカ共和国)のトレーナーでもあった人。和氣慎吾(現・FLARE山上)との王座決定戦で勝ち取ったベルトは、小國に奪われ、次に岩佐の手にわたった。彼にとってはベルト奪還の戦いでもあった。

「もちろん、自分はガンガン攻めようと思えば、そういう戦い方もできるが、ヘクターの影響もあって、チェスゲームのようにインテリジェントな戦いを選択した」(ドヘニー)

 プロキャリアは6年だが、ドヘニーによれば、アマチュア時代はアイルランドの国内チャンピオンに6度輝き、200戦ものキャリアがあるという。その経験もまた自身のボクシングのベースになっていると胸を張った。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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