福西が説くW杯での“割り切り”の重要性  「初戦を落とした時こそ真価が問われる」

飯尾篤史

オーストラリア戦のスタメンは「4年間の成果」

オーストラリア戦でのスタメン出場は「4年間の成果だった」と福西(上段左端)は語る 【写真:築田純/アフロスポーツ】

 日本代表で初めてスタメンに指名されたのは1999年7月、パラグアイで開催されたコパ・アメリカでのことだった。

 それから先発出場は48回を数え、同じ数だけピッチの上で「君が代」を聞いてきた。いつも身の引き締まる思いだったが、これほどさまざまな感情が湧いてくるのは、初めての経験だった。

 2006年6月12日、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会のグループステージ第1戦のオーストラリア戦。強い日差しを浴びながら、福西崇史は国歌斉唱に臨んでいた。

「日韓大会のロシア戦でちょっとだけ出してもらったんだけれど、ピッチに入ったとき、自分でも思っていないほど緊張したんです。スタンドは青一色。あれほどの声援を受けたのは初めてで、これがW杯なんだって。あのときから4年後を目指してやってきた。ドイツ大会ではスタメンでピッチに立つぞと。だからオーストラリア戦のスタメンは、4年間やってきたことの成果だった。誇らしい気持ちがあったし、責任感も緊張感もすごくあった。いろいろな思いを胸に、『君が代』を聞きましたね」

 福西にとっての集大成と言えたドイツ大会は、20代前半で前回大会を迎えた、ほかの主力メンバーにとっても、選手として最も脂の乗った時期に迎える大会で、日韓大会のベスト16を上回ることが期待されていた。

 だが、日本代表史上最強と謳われたジーコジャパンは、思わぬ結末を迎えることになる。

ドイツ大会の失敗は国内キャンプではなく……

福島のJヴィレッジでキャンプを行った日本代表。トレーニングには2万人の観客が押し寄せた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 オーストラリア戦のおよそ3週間前、日本代表は福島のJヴィレッジで国内キャンプを行っていた。トレーニングは連日公開されており、2万人の観客が押し寄せ、決戦へと向かっていく雰囲気は醸成されないままだった。

「W杯の結果が芳しくなったことで、国内キャンプが失敗だったという指摘がありましたよね。客なんか入れるからだって。でも、僕は気にならなかった。そんなことで集中が削がれていたら、試合ではどうなのか。逆に、お客さんが入ったことで、集中しなきゃいけない状況が作られたわけだから」

 むしろ、問題があったのは、オーガナイズとコンディショニングだった。

 5月26日にドイツ入りした日本代表は、30日に開催国のドイツ代表と、6月4日にマルタ代表とのテストマッチを組んでいた。

 レギュラーと考えられる選手がスタメン起用されたドイツ戦は、高原直泰の2ゴールで先行。終盤に追いつかれたものの、本大会に向けて希望を感じさせる内容だった。

 続くマルタ戦には当初、サブ組の起用が予定されていた。だが、ふたを開けてみれば、ドイツ戦で負傷した右ウイングバックの加地亮に代わって駒野友一、高原と柳沢敦の2トップに代わって玉田圭司と大黒将志が起用された以外は、ドイツ戦と同じメンバーが送り出された。

 おそらくドイツ戦の内容に手応えをつかんだジーコ監督は、格下のマルタ相手でもレギュラー組をプレーさせ、約束事や連係をさらに強固なものにしたかったのだろう。ところが、これが裏目に出てしまう。

「僕らはマルタ戦に出ないものだと思っていたし、ドイツ戦の疲れもあって身体が重かった。一方、サブ組はマルタ戦でアピールするつもりだったのにベンチスタートになってしまい、難しかったと思います。コンディションも上げられなかったですから」

 こうした状況で迎えたマルタ戦は、1−0で勝利したものの、ドイツ戦がまぼろしだったかのような低調な出来で、チームに生まれたはずの勢いを削いでしまうのだ。

ドイツの異常気象とオーストラリアのパワープレー

後半に入ってすぐ、パワープレーを仕掛けてきたオーストラリア。予想はしていたが、あまりにも早かった 【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

 さらに、異常気象が選手たちを苦しめる。ドイツ戦前日には雪がちらつくほどの寒気に見舞われていたが、大会が開幕するころには気温が30度以上に達したのだ。しかも、オーストラリア戦のキックオフ時間は、日差しの強い15時だった。

「コンディショニングに関して『ドイツ戦にピークが来てしまった』とよく言われますけれど、それは結果論。予想外の異常気象で(中村)俊輔が体調を崩したり、何人かが風邪をひいてしまった。僕自身、あれは本当に堪えました」

 こうして、さまざまな不安要素を抱えて臨んだオーストラリア戦は、中村のクロスがそのままゴールマウスに吸い込まれる幸運なゴールで日本が先制。1−0とリードしてハーフタイムを迎えた。

 だが、後半が始まってすぐ、福西は異変を感じとった。

「オーストラリアがパワープレーを仕掛けてきたんです。もちろん、最終的にはパワープレーで来るだろうと想定していたけれど、予想以上に早かった」

 さらに、身長194センチのジョシュア・ケネディ、185センチのジョン・アロイージを次々と投入したオーストラリアは、パワープレーの色合いを強め、日本の守備陣の体力をもぎ取っていく。

「後半が始まってしばらくして、両足がつった坪井(慶介)が交代になるんです。両足がつるなんて聞いたことがない。あの暑さのなかで何度もジャンプして競り合っているし、ボールを次々と放り込まれて、水分補給の時間が取れなかった。それに、W杯の初戦ということで過度に緊張しているから、つりやすくなっていたんだと思います。僕だって、本当にきつかった」

大一番で浮き彫りになったジーコジャパンの問題点

中田英と口論と呼んでいいほどの議論をかわしたという福西。チーム内で意見が衝突し、まとまらないこともあった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 1点をリードしながらも劣勢だった後半34分、日本のベンチが動く。2トップの一角である柳沢に代えて小野伸二をボランチに投入。高原が1トップ、福西とボランチを組んでいた中田英寿を2列目に上げるのだ。

 のちにジーコは「スペースがあったから、ゴールを奪いにいかなければならなかった」と述懐しているから、カウンターからトドメを刺すための選手交代だったのだろう。

 だが、この狙いが、ピッチ内に伝わり切らなかった。

「後ろとしては、跳ね返せる選手に入ってきてほしかったけれど、そうじゃなくて伸二が入ってきた。じゃあ、こぼれ球を回収して、キープして、攻守のつなぎ役をするんだろうなって。でも、攻撃の選手たちは、前からボールを奪いにいって追加点を奪いたい。実際、2点目が取れたら勝負を決められるという狙いも分かるから、行くなとも言えない。まとまり切らないまま、流れがどんどん相手に傾いてしまった」

 攻めるのか、守るのか。守るにしても、前から行くのか、後ろに引くのか。ジーコジャパンが抱え続けてきた問題を、この大一番で突きつけられることになったのだ。

 前任者のフィリップ・トルシエが「サッカーは60%の戦術、30%の個人能力、10%の運で成り立っている」と力説し、“フラット3”の戦術をベースにオートマチズムを徹底的に磨いたのに対し、ジーコが決めたのは大枠だけ。あとは選手間のコミュニケーションと各々のイマジネーションを重視し、比較的自由を許していた。

 それゆえ、守備戦術などを選手間で話し合うことが多く、ときには意見が衝突し、まとまらないことも少なくなかった。福西自身も中田英と、口論と呼んでいいほどの議論をかわしたことがある。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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