【全日本プロレス】宮原がノア丸藤の挑戦退け王座防衛 三沢さんに並ぶ歴代三冠王者と宣言

高木裕美

ノア丸藤から三冠王座を守った宮原。「こんなに三冠チャンピオンが似合う人は歴史上いない」と豪語 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 24日の全日本プロレス「2018 SUPER POWER SERIES」東京・後楽園ホール大会では、超満員となる1680人の観客を動員した。

 メインイベントの三冠ヘビー級選手権試合では、王者・宮原健斗が今年の「2018チャンピオン・カーニバル」(CC)優勝者の丸藤正道(プロレスリング・ノア)を破り初防衛に成功。次期挑戦者にはディラン・ジェイムスが名乗りを上げ、6.12後楽園でのV2戦が正式決定した。

 宮原と丸藤は4.30後楽園で行われた今年のCC決勝戦で激突。丸藤が24分50秒、ポールシフト式エメラルドフロウジョンで勝利し、初出場初優勝の偉業を達成した。一方、宮原は3年連続で三冠王者としてCCに出場しながら、16年、17年は決勝進出すらできず。16年は関本大介(大日本プロレス)、17年は石川修司(フリー)、今年は丸藤と、3年連続で外敵に優勝をさらわれていた。

 00年に創設されたノアの旗揚げメンバーであり、「方舟の天才」と称される丸藤だが、デビューは全日本。ノアでは、GHC4大タイトルをすべて獲得すると、08年には古巣・全日本の世界ジュニアヘビー級王座、10年には新日本プロレスのIWGPジュニアヘビー級王座を戴冠し、史上初のメジャー3団体ジュニア王座制覇を達成した。

 丸藤は過去に新日本の“真夏の祭典”「G1 CLIMAX」に2度出場し、12年には棚橋弘至、16年はオカダ・カズチカと、当時のIWGPヘビー級王者から勝利しているものの、その後のIWGPヘビー級タイトル戦ではいずれも敗北。それだけに、今回こそはそのジンクスを打ち破り、入門前から憧れていた思い入れの深い三冠王座を巻くことができるのか注目されていた。さらに、5日後の5.29ノア後楽園大会では、杉浦貴の持つGHCヘビー級王座への挑戦も決定しており、三冠&GHCの同時戴冠となれば史上初の快挙となるだけに、ノアファンのみならず、プロレスファン全体からの期待値も高まっていた。

丸藤は敗北も「全日本、to be continuedだ」

宮原(右)は怒涛のブラックアウトで丸藤を追い込み、最後はシャットダウンスープレックスで勝利 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 08年に宮原がデビューした直後のノア「日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦」ではタッグを組んでいた両者。10年のキャリアの差に敬意を表してか、チャンピオンの宮原が先に入場するという、王者プロデュースの異例の演出に。試合前には丸藤が右手を差し出すが、宮原はこれを拒否。ならばと丸藤は和田京平レフェリーと握手をかわし、試合開始のゴング。

 客席からは両者への熱い声援が沸き起こる。丸藤は場外で逆水平チョップを打ち込むと、サイドヘッドロックで執ように締め上げるが、宮原もキックで応戦。すると丸藤は鋭いキックのコンビネーションから、顔面ステップキック、エプロンでのパイルドライバーで脳天から突き刺し、リングに戻ったところへフロムコーナートゥコーナー。宮原もブラックアウト、ジャーマンスープレックスで反撃に出るも、丸藤はコブラクラッチ、虎王、不知火から、前回勝利を奪ったポールシフト式エメラルドフロウジョンを狙おうとする。しかし、宮原はこれを切り返し、後頭部へブラックアウトを見舞うと、なおも食い下がる丸藤に対し、怒涛のブラックアウト3連発からのシャットダウンスープレックスで勝利した。

 試合後、リング上にはジェイムスが現れ、マイクで挑戦表明。宮原も観客の声を確かめた上で受諾し、タイトル戦の日程までその場で決定。「ジャパニーズドリームをつかみに来た」ジェームスの心意気に応えた。

「遠い遠い初防衛だった。決勝戦で負けて、こんな長い1カ月なかった。毎日夢に丸藤が出てきた。それぐらい長かった」と丸藤戦を振り返った宮原は、かつてのタッグパートナーであった大先輩について「『さすが』の一言。懐かしい感じもしつつ、新しい感じもしつつ、宮原健斗が次に行くにあたって、必然の相手だった」と、今回の一戦が自分にとって重要なものであったことを激白。死闘の末に守り抜いた三冠ベルトについては「こんなに三冠チャンピオンが似合う人は歴史上いないでしょう。オレの中でも2人目ぐらい」と、これまで60代も積み上げてきた至宝の歴史を揺るがす大胆発言。「1人目は?」という問いかけに宮原は「三沢光晴。今、オレの立場はそれぐらいだと思っているから。それぐらいの気持ちで引っ張ってます」と、丸藤の師匠であり、ノアの創始者であり、「四天王」として90年代の全日本マットで黄金時代を築き上げた、偉大すぎるレスラーの名を挙げ、自分がそれに次ぐ存在であると言い切ってみせた。

 一方、敗れた丸藤は、試合後、痛めた首をアイシングしながらも、花道で立ち止まり、リングに向かって深々と一礼してから退場。試合について「最後はやっぱ受け身が取れなかったな。でも、負けだな。強かった」と素直に敗戦を認めた上で、今回の三冠挑戦について「1人でも2人でも多くの人に丸藤というレスラー、プロレスリング・ノアというものを知ってもらいたかった」という思いを語る。その上で、「来週、オレはGHCが待っているから。オレの目はもうGHCに向いている」と、史上初の2冠王誕生の夢は破れたものの、GHC王座は奪取すると宣言。さらに「そして、これだけは言わせてくれ。全日本プロレス、to be continuedだ」と、全日本とはこれで終わりではないことを予告した。

 単なるCCのリマッチ、三冠戦というだけではなく、全日本vs.ノアの団体対抗戦という意味合いも色濃くあった宮原vs.丸藤戦。宮原が三沢さんの名前を出したことで、再び丸藤、そして他のノア選手にも対・全日本の火が点くか。

ジェイクが復活 王者・宮原もハッパかける

長期欠場中であったジェイク・リーが約9カ月ぶりに復帰 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 昨年8月から長期欠場中であったジェイク・リーが約9カ月ぶりに復帰。岩本煌史と組んで、野村直矢&ヨシタツ組と対戦した。

 ジェイクは昨年7月に左ヒザ前十字靭帯断裂、内側靭帯損傷、骨挫傷の重傷を負い、野村と共に保持していた世界タッグ王座を返上。手術&リハビリを行っていた。欠場中は総合武術鍛錬場・倉本塾に通うなどして技術に磨きをかけており、復帰戦を前に、自身が所属していたNEXTREMEを離脱することを表明していた。

 かつてのパートナーを前に、先発を買って出たジェイクは、ふてぶてしさを崩さず。野村に対し、サイドスープレックス、DDTを繰り出すと、ヨシタツのスイングDDTで首を痛めながらも、直後にカウンターのニーリフト。野村もジェイクにショルダー、スピアー、フロッグスプラッシュ。カウントは2。野村がなおも向かっていこうとしたところ、岩本が飛び込み、孤高の芸術でマットにたたきつけると、すかさずジェイクがサッカーボールキックからパウンド連打、高角度バックドロップで3カウントを奪取。9カ月のブランクによりぎこちなさは目立ったものの、岩本のフォローで白星復帰を果たした。

 その恵まれた体格とルックスから、次世代のスターとして期待されていたジェイク。15年12月、宮原との共闘を表明し「NEXTREME」を結成すると、16年9月には野村と青柳優馬もユニットに加入した。「全日本プロレスに新たな風を巻き起こす」というテーマの下、上の世代に食らいついていき、結果を出し始めた矢先の負傷。だが、この長期欠場でジェイクが選んだ答えは、NEXTREMEを離脱し、三冠王者・宮原の横ではなく、前へ立つという強い意志であった。

 このジェイクの決断に対し、宮原も三冠王座防衛後、リング上から「2年半前、オレらで新しい道を作るといった。まぎれもなく、新しい時代の先頭はこのオレだ。ジェイク、野村、青柳、早くオレのところまで来いよ」と痛烈なメッセージ。今、自分に必要とされる「同世代のライバル」の復帰を「オレが一番待っていたかもしれない」と渇望していた“最高王者”は「プロレス界の最前線。オレが突っ走るところに早く来いよ」と、上から目線でハッパをかけた。

 ジェイクに続き、6.5ディファ有明では青柳も復帰。6.12後楽園では、秋山準&永田裕志組vs.野村&青柳組によるアジアタッグ選手権試合の開催も発表された。今年の「チャンピオン・カーニバル」では丸藤をはじめとする外敵勢の奮闘が話題をさらったが、負傷組の復活により、下半期は若手勢が全日本マットの中心を担う存在へと成長していくか。

TAJIRI&KAIが王者組を再び挑発

TAJIRI&KAIは世界タッグのベルトを奪い、ベルト獲りを再びアピール 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 6.3神戸サンボーホールで行われる世界タッグ選手権試合前哨戦として、崔領二&ディラン・ジェイムス&佐藤恵一組vs.TAJIRI&KAI&鈴木鼓太郎組が6人タッグで対戦。大荒れの展開の末、挑戦者組がまたも挑発を繰り返した。

 現世界タッグ王者組である崔&ジェイムス組は、4.30後楽園でノンタイトル戦ながらTAJIRI&KAI組に敗北。正式にタイトル戦が決定した。

 KAIは序盤からトペスイシーダを放つなど闘志を見せ付けると、5分過ぎには激しい場外戦に突入。ジェイムスのエルボーで客席になだれ込んだTAJIRIは、さらに壁にも激突。崔はKAIをステージ上から床めがけて投げようとするなど、ラフな展開となる。ようやくリングに戻った崔はKAIにジャンピングブレーンバスター、雪崩式ブレーンバスター。だが、挑戦者組の挑発に怒ったジェイムスが2人を追いかけ回し、鼓太郎と佐藤が交戦中のリング上にまで飛び込んでいくと、レフェリーが困惑する間に、TAJIRIが崔の顔面にグリーンミストを噴射。この混乱に乗じて、鼓太郎が佐藤をランニングエルボーからのブルーディスティニーで沈めた。

 試合後、顔を緑色に染めた崔が怒りの表情でイスを手にTAJIRIとKAIを追い回すが、2人は本部席に駆け込むと、勝手に4本のベルトを両肩にかけて2人でピース。記念撮影が終わったところで、そのベルトを林リングドクターの肩にかけ、証拠隠滅をはかったTAJIRIは、意気揚々と本部席のゴングを鳴らすと、KAIも「負けた人はご退場ください」とマイク。さらに再びリングに戻り、4.30後楽園と同じく、背中合わせに立って腰にベルトを巻くポーズで王座奪取を予告してみせた。

鶴田さんを偲んで渕が四方へ「オーッ!」

第2試合では、「ジャンボ鶴田メモリアルマッチ」として渕が四方のコーナーに上がって「オーッ!」を行った。 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 第2試合では、「ジャンボ鶴田メモリアルマッチ」として、秋山準&西村修組vs.大森隆男&渕正信組が対戦。試合後は鶴田さんのテーマ曲「J」が流れる中、渕が四方のコーナーに上がって「オーッ!」を行った。

 1951年に山梨県で生まれた鶴田さんは、72年のミュンヘン五輪にレスリング日本代表として出場後、全日本に「就職」。「完全無欠のエース」「怪物」と呼ばれ、三冠ヘビー級王座など数々のタイトルを獲得したが、92年にB型肝炎を発症し、99年3月に引退。翌00年5月13日、フィリピンでの肝臓移植手術中に大量出血を起こし、49歳の若さで死去した。

 この日のメモリアルマッチでは、鶴田さんの後輩として公私共に親しかった渕、付き人を務めていた秋山、鶴田さんと対戦経験のある大森、鶴田さんと同じくドリー・ファンクJr.を師匠とする西村という、縁の深い4選手が集まった。

 三冠ベルトを巻いて「オーッ!」をする笑顔の鶴田さんの写真が本部席で見守る中、まずは鶴田さんの初期テーマ曲「チャイニーズカンフー」で大森組、2代目テーマ曲「ローリングドリーマー」で秋山組が入場。秋山が渕をヘッドロックし、グーをたたき込むと、客席からは大ブーイング。渕は西村をボディースラムで投げると、さらに、秋山の顔面もかきむしり、先ほどのお返しのグーパンチからボディースラム。西村にはドロップキックから、鶴田さんの必殺技であったバックドロップを敢行。場内からは大「フッチー」コールが起こる。さらに渕は秋山に首固めを仕掛けると、秋山はカウント2で切り返し、リストクラッチ式エクスプロイダーに行くと見せかけての首固めで3カウントを奪取。

 試合後、「J」が流れる中、和田京平レフェリーが4人の手を挙げると、渕が四方のコーナーに上がって「オーッ!」を連発。鶴田さんを偲んだ。
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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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