【大日本プロレス】 竹田誠志がデスマッチ2冠王を死守 鈴木vs.関本のストロングは時間切れ

高木裕美

デスマッチにあこがれ大日本へ

デスマッチ2冠王の座を死守した竹田誠志 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 5日の大日本プロレス「〜Endless Survivor〜2018」神奈川・横浜文化体育館大会では、4大タイトルマッチなどが行われた。

 メインイベントのBJW認定デスマッチヘビー選手権試合は、「蛍光灯&五寸釘ボード&フォークボードデスマッチ」で行われ、王者・竹田誠志がアブドーラ・小林を退け6度目の防衛に成功。3日前に獲得したばかりのKING of FREEDOM WORLD選手権と共に、デスマッチ2冠王の座を死守した。

 竹田は昨年8.19名古屋でデスマッチヘビー級王座を初戴冠し、これまで5度防衛。そして、3日前に行われたFREEDOMS5.2後楽園大会では、「蛍光灯+ダブルガラスボード+αデスマッチ」でビオレント・ジャックを破り、第10代王者に君臨。史上初のデスマッチ2冠王となった。

 現在32歳の竹田は、中学生時代からデスマッチにあこがれを抱くようになり、2007年にU‐FILE CAMPでデビュー後、翌年より大日本マットに参戦し、デスマッチにも挑戦。デスマッチヘビー級王座には09年7.12横浜での宮本裕向戦を皮切りに、10年7.30後楽園では伊東竜二)、12年2.26後楽園では小林、13年6.30後楽園では石川修司、14年8.31名古屋では宮本と、毎年のように挑むもあと一歩届かず。だが、昨年8月、自分よりキャリアが下のチャンピオン・高橋匡哉に勝利し、6度目の挑戦にして、ついに王座を手に入れていた。

 大日本では葛西純にあこがれてデスマッチを目指した竹田だが、小林は1994年に旗揚げされた大日本の草創期メンバーとしてデスマッチ路線をけん引。竹田自身も、小林が大日本の象徴的メンバーであることは認めていた。

五寸釘ボード、フォークボードで背中に穴

「蛍光灯&五寸釘ボード&フォークボードデスマッチ」でリング上は凶器が散乱した 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 小林の強い要望により、レフェリーストップなしのルールで行われたこの一戦。「蛍光灯&五寸釘ボード&フォークボードデスマッチ」の名の通り、ロープの二面に蛍光灯が張りつけられ、コーナーには蛍光灯のやぐら、五寸釘ボード、フォークボードが設置され、試合開始のゴング。竹田は開始早々、小林の脳天にフォークを突き刺し、ナックルを見舞うと、ハサミも突き立てる。小林も竹田をフォークボードめがけてボディースラムで投げつけると、竹田はたまらず悶絶。だが、竹田は背中を穴だらけにしながらも、蛍光灯やぐらめがけて小林を投げ捨てる。

 小林はヘビーローテーション、カモイェ、バカチンガーエルボーから、五寸釘ボード上へパワーボムで投げつけ、押し付けるようにカバーに入るが、カウントは2。竹田は、五寸釘ボード上へボディースラムを食らいながらも、お返しの雪崩式ブレーンバスターでクギ板の上へ小林を投げ、さらにノコギリで背中を切り刻んでからジャーマンを発射。さらにはヒザ蹴り2連発、蛍光灯キックから、五寸釘ボードに載せて腕十字固めで締め上げると、小林がたまらずギブアップした。

 試合後、2本のベルトを肩にかけた竹田が「正直、今日のタイトルマッチは物足りない。オレはもう1試合やってもいいぐらい、それぐらいピンピンしてるわ、ボケ」と余裕をかますと、小林も「竹田、もう1回やるか」と呼びかけるも、直後に「とりあえず今日は無理だ」と完敗宣言。それでも、「オレはまだこのベルトを狙っていってやるからな」と、小林が敬愛し、前日、IWGPヘビー級王座返り咲きに失敗した新日本プロレスの棚橋弘至同様、頂点への返り咲きを宣言してみせた。そんな小林の姿に、竹田も「オレが少年時代に見てきた小林はこんなもんじゃない」と、心の奥に眠っているデスマッチの魂を甦らせてくれる存在である大先輩にエールを送ると、「今日はこどもの日。少年少女に皆、このリングを目指してもらえるように、オレがもっともっと面白く、デスマッチをやってやる」とファンにアピールした。

「オレも人間。痛いとかキツイとかあるけど、弱音を吐いてたらデスマッチのリングに立てない。デスマッチ2冠王でもやることは一緒。でも、背負うものが違ってくる。2つのベルト、オレがこのベルトを背負って、いろいろなヤツらと戦っていく。日本のデスマッチはオレが引っ張っていきますよ」と、日本デスマッチ界最強の男としての自負を語った竹田。かつて、自分が大日本のデスマッチに、葛西にあこがれて成長し、夢をかなえたように、これからの未来を担う子供たちに熱いメッセージを送った。

鈴木と関本、試合後はノーサイドの固い握手

鈴木と関本のBJW認定世界ストロングヘビー級選手権試合は時間切れドロー 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 セミファイナルのBJW認定世界ストロングヘビー級選手権試合では、王者・鈴木秀樹に元王者の関本大介が挑戦するも、30分時間切れで鈴木が初防衛に成功。2度目の時間切れドローを経験した両者は、試合後、共に花道を引き揚げ、握手をかわしてたたえ合った。

 両者は昨年3.5後楽園で同王座を賭けて初対戦。当時は王者・関本に鈴木がチャレンジャーとして挑んだが、30分フルタイムドロー。すぐに3.30後楽園でリマッチが組まれ、19分27秒、ダブルアーム・スープレックスで鈴木が関本を破り、王座を奪取した。鈴木はその後、約8カ月で5度の防衛に成功するも、12.17横浜で橋本大地に敗れ、王座陥落。しかし、その活躍が認められ、同年のプロレス大賞技能賞を獲得した。今年の3.11博多では、シングルリーグ戦「一騎当千〜STRONG CLIMB〜」公式戦として約1年ぶりに対戦。12分27秒、ジャーマンスープレックスで関本がリベンジを果たすも、リーグ戦では鈴木が優勝。4.15札幌での決勝戦では、ストロングのベルトを賭けて背水の陣で臨んだ大地を鈴木が打ち砕き、ベルトも、優勝の栄冠も手に入れると、初防衛戦の相手として、公式戦で敗れた関本を指名していた。

 これまで1勝1敗1分の五分である両者。まずは力比べで互いの意地を見せつけると、関本がベアハッグで締め上げるが、鈴木もヘッドロックから首攻めへ。すると、関本もバックブリーカー、ストンピングで腰を痛めつけてからアルゼンチンバックブリーカー。ニークラッシャーからのサソリ固めは、鈴木に丸め込まれて阻止される。鈴木がフルネルソンからサーフボードストレッチでとらえれば、関本も切り返して右腕をガッチリとロック。鈴木は場外へのフロントスープレックスや急所蹴りといった荒々しい攻めも見せるが、決めきれないまま25分が経過。チョップ合戦から関本が掟破りの逆ダブルアームスープレックスを繰り出すも、カウントは2。鈴木もジャーマンスープレックスでお返しすると、さらにエルボー、ツームストンパイルドライバー。すでに残り時間は1分。ラリアット相打ちから鈴木がスリーパーでとらえ、関本が最後にジャーマンスープレックスで勝負をかけるも、鈴木がカウント2で返した直後に時間切れのゴングが鳴らされた。

 引き分けにより王座防衛に成功した鈴木に対し、関本は素直に祝福し、腰にベルトを巻こうとするが、そこに野村卓矢、阿部史典の2選手が乱入し、鈴木、関本を急襲。だが、30分戦いぬいたはずの両者は、すぐさま返り討ちに。鈴木は野村を強烈なエルボーでブチのめし、顔面を踏みつけていった。ダウンした2人を横目に、鈴木と関本は再び握手をかわすと、1年前の5.4DDT豊中大会で頸髄完全損傷の重傷を負い、現在もリハビリ中の“帝王”高山善廣に捧げるかのようなノーフィアーポーズ。さらに、一緒に花道を引き上げると、再びステージ上でも握手をかわすなど、ノーサイドとなるが、収まらないのは野村と阿部の2人。ようやく起き上がった2人は、鈴木と関本を再び追いかけていった。

 1週間後の5.13後楽園ホール大会では、セミファイナルで鈴木&関本組vs.野村&阿部組によるタッグマッチが決定済。絆を深めた鈴木と関本の連係と、下克上を狙う野村&阿部の野心が、ストロング戦線に新たな嵐を呼び起こすか。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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