川内優輝の海外挑戦を支え続けたカナダ人 プロ転向へ「彼の自由を守ることが大事」
“最強の公務員ランナー”を支える陰の立役者
川内優輝の海外挑戦を長年サポートしてきたラーナーさんに、ボストンマラソン優勝を見届けた今の気持ちを聞いた 【スポーツナビ】
川内がフィニッシュテープを切った直後、真っ先に駆け寄り、抱き合って喜びを分かち合った。
「半分くらい驚いたけど、半分くらいは間違いなく優勝するという気持ちがありました。かなりうれしいです。ボストンマラソンは世界一のマラソン大会で歴史もある。他のメジャー大会と比べて本当に価値があります」
ラーナーさんは、日本代表としての派遣以外では海外初挑戦となる2012年のデュッセルドルフマラソンを始め、数多くの海外レースに帯同。大会主催者との交渉や、現地での食事などのアレンジ、通訳、メディア対応などをこなしてきた。実業団に所属せず、スタッフのいない“最強の公務員ランナー”の右腕となり、海外転戦を支えてきた陰の立役者だ。
ボストンマラソンは世界最高峰の「ワールドマラソンメジャーズ」の6大会の1つで、世界のトップランナーが集う。成績を残せば影響力も大きい。ラーナーさんは米国で高校、大学と陸上に打ち込んでおり、市民ランナーとしてボストンマラソンを6度走った。「アップダウンの多いボストンであれば、川内に勝機はある」と、早くから出場を勧めてきた。
川内が今回マークしていたのは、前回大会2位で、同3位の大迫傑も所属するエリート集団「ナイキオレゴンプロジェクト」のゲーレン・ラップ(米国)だった。12年ロンドン五輪では1万メートルで銀メダルを持つ屈指のスピードランナーで、「最後の10キロで同じ位置にいては勝てない」と緻密に作戦を練った。気温3度の風雨という“得意な”天気もあいまって、戦略がカチッとはまった。「序盤に速いペースで入ると勝てない」と言われる大会で、あえてスタートから飛び出し、力のない選手を振り落とす。ついて来られる選手には「速すぎるのでは」と精神的に揺さぶりをかける。難なくついて来れた選手でも、オーバーペースのツケが後半に来るはず。川内はそこで勝負を仕掛けて、最後に一気に抜く――。ラップを25キロで引き離し、先頭を走っていたジョフリー・キルイ(ケニア)もラスト2キロでかわした。描いていたとおりの展開に、「完璧なレースだった」とラーナーさんは手放しで褒めたたえた。
初めて見た時から“何か違う”
スタートから飛び出した川内。緻密に練った作戦がカチっとはまった 【写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ】
その頃、ブログをきっかけに海外の大会主催者から「日本人選手を紹介してくれないか」と相談されることが増えた。09年秋以降、ぜひ川内にと知人を介して何度か誘ったが、すべて見送りに。その後、3位に入った11年12月の福岡国際マラソン後、川内から突然電話があった。「ヨーロッパのマラソンに出たい」。そうして、12年4月のデュッセルドルフマラソンへの挑戦が決定。ここから2人のタッグは始まった。
「初めて見た時から『何か違う』と感じていました。今の川内みたいになるとは思っていませんでしたけどね。彼は考えることをストレートに口にする人。良い意味で普通のランナー。頑張っている仲間の市民ランナーと変わらない。その印象は今でも変わりません。スイッチを入れたら世界のトップ選手になる。それ以外は本当に普通ですね」