ベルギーでの成長を実感する森岡亮太 欧州で弱点を克服するまでの葛藤

中田徹

転機となった加藤との食事

アンデルレヒトへとステップアップした森岡(右)だが、昨年まではポーランドの厳しい環境の中で苦悩していた 【Getty Images】

 昨年の今頃、まだ森岡はポーランドでプレーしていた。そんなに遠い昔の話ではない。

「やっぱりレベルの低いところでやると……。厳しい環境なので、夢を持ってやってきているのに、どうしてもそれを忘れる時期ってくるんですよ。やっぱり日本が恋しくなったりとか、自分が何もできなくなっている感覚になったりとか、いろいろなことが起こり得る。そういう選手の成功例に僕はなりたいですね」

 加藤の存在は、森岡にとって力になったという。

「自分には、J1でやっていたというプライドもある。それでも、ポーランドで『戦えない』と言われて試合に出られない。俺の方がうまいのに試合に出れない。でも、ピッチに出たら、めっちゃへたになっている錯覚に陥る……。実際、すごいミスをしたりする。こうして、どんどん(自分のパフォーマンスが)下がっていったわけです。

 その時、たまたま恒平くんと会う機会を作ってもらえて、わざわざ会いに来てくれたんです。『そういうの、あるよね』とかいろいろ話をして、すごい気がラクになって、良い意味で吹っ切れて、『また、頑張ろう』という気になれたんです。

 ベルギーには日本人がいっぱいいるし、今日もこうして記者の人たちも来てくれますが、やっぱり(ポーランドでは)日本語を喋る機会がほとんどない。その状況はすごく厳しい。だから、あの時(=加藤との食事)はだいぶ助かりました」

「意識してやり続ければできるようになる」

 ポーランドで「戦えない」と言われた一言。それは、これまでも森岡につきまとってきた言葉だった。

「プロに入ってから、自分はずっと『ヘディングができない』『戦えない』とか言われています。もちろん、そのことは客観的に自分でも分かっていますので、意識的にやっています。でも、間違いなくそこは伸びていると思います。正直、僕みたいなプレーヤーが、そこが評価されるようになったら『誰でも』できるようになりますよ」

 森岡の言う「誰でも」という言葉。その対象はどんな選手を指しているのだろうか?

「今、評価されていない選手。若くて、守備ができないとか、体力がないとか言われている選手でも、自分で意識してやり続ければできるようになる。しかも年齢は別にして。(森岡のように)25、26歳になるとこっちではちょっとベテラン、年上の方に入っていきますけれど、それでも伸びていく。もちろん意識だけではなくトレーニングも必要ですけれど。そんな自分が(もっと)上までいけば、『自分はこういう風にして伸びていった』と方法論として答えが出せる。それを自分は将来言っていきたい」

 ベルギーに来てから森岡はヘディングでもゴールを決めるようになり、ヘント戦でも果敢にダイビングヘッドでゴールを狙った。ポーランド時代に培ったシュートへの意識と、その後の積み重ねによって、とっさに身を投げ出して頭から突っ込むことができるようになったのではないだろうか。

「それもあると思います。今年は点を取っているので、それが自信になっているというのはあると思います。ヴィッセルで一緒にやっていた選手に聞いたら分かると思いますけれど、『ヘディングできない』『足遅い』『守備できない』というイメージが僕にはすごくついていると思います。だから、その時の選手が今の自分を見たら……」

 きっと驚くことだろう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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