八重樫東、再起戦快勝も不安を残す Sフライ転級に頭と体のギャップ感じる

船橋真二郎

多数の要因 この試合だけで答えはでない

思ったようなボクシングができず繰り返し嘆息をもらした八重樫(左)だったが、「明日から練習します」と前を向いた 【写真は共同】

 だが、実際のリング上では「自分自身の頭と体にギャップがあった」と八重樫。会見中、「なんでだろうなー?」「どうしたらいいんだろうなー?」と繰り返し嘆息をもらした。

 記者からの質問に応える形で大橋会長が指摘したように「1ラウンドKO負けした次の試合の1ラウンドは怖いもの」という精神的な影響はあったかもしれない。八重樫自身も「多分、1ラウンドは緊張していたんだと思う」と認めているが、あるいはミニマム級からスタートし、フライ級に2階級上げ、ライトフライ級に下げたときに松本好二トレーナーが自身の経験も踏まえ、階級を上げて、また下げることの難しさを指摘していたが、そこからさらに2階級上げることの難しさもあったのだろうか。

 最近では最長となる10カ月のブランク、35歳という年齢、心配されたダメージの影響は……この試合だけでは答えは出そうにない。

「特に試合が決まってからの1カ月、2カ月は自分にとって充実した時間でしたし、リングに上がるために自分が積み上げてきた日々が、すごくかけがえのないものだと確認できたことが今回の収穫」と八重樫。ほろ苦いリングも明日の糧となる。「今日は何とか次につながった。また一生懸命できる日々が待っていると思ったら、モチベーションになる。だから、明日から練習しますよ」と前を向いた。

“挑戦”のボクシング人生はどこで結末を迎えるか

 現役続行を表明したとき、「僕のボクシング人生は常に“挑戦”だった。階級を上げることでモチベーションも上がるし、日本人がまだ誰もやったことがないことにチャレンジできるのは光栄」と話していたことを思い出す。

 振り返れば、ミニマム級王者時代の井岡一翔(井岡=引退)との王座統一戦、フライ級王者時代に迎えたローマン・ゴンサレス(ニカラグア)戦も“挑戦”だったが、一気にフライ級に2階級上げて2階級制覇を成し遂げたことも、そこから1階級下げてライトフライ級で3階級制覇を果たしたことも“挑戦”だった。

 フィジカルに目を向け、一度はフライ級で戦える体をつくり上げ、ライトフライ級では筋量を維持しながら効率的に体を動かすことを学んだ。難しいテーマと取り組みながら、その階級に適応し、ボクサーとして常に成長してきた。

 今後について「(スーパーフライ級としては体が)小っちゃいかな」と大橋会長はフライ級も選択肢に入れて、八重樫と話し合うとした。残された現役生活がそう長くはないことは自覚している。果たして“挑戦”のボクシング人生を締めくくるに相応しい舞台は――。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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