“高卒ルーキー”遠藤日向の野望 東京五輪はトラックで世界と勝負する
12年ぶりとなる“高卒ルーキー”の区間賞
高卒のルーキーイヤーながらニューイヤー駅伝で1区区間賞を獲得した遠藤日向 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】
大集団は最初の5キロを14分13秒で通過。その中で前方に位置取りをしていた遠藤は、ラスト1キロ手前から始まった激しいスパート合戦に食らいつき、残り200メートルからスパートした大卒ルーキー服部弾馬(トーエネック・東洋大卒)を追いかけて中継所寸前で交わし、1秒差の34分55秒でタスキを2区の木村哲也にわたしたのだ。
高卒ルーキーの区間賞は現在の区間配置になる前の06年に、松下朋広(ヤクルト)が10.5キロの4区で獲得して以来の快挙。12.3キロは彼がレースで走る最長距離だった。
「ラップタイムを見る限り、最初は1キロ2分47秒くらいで入りましたが、その後は2分54〜55秒くらいでそんなに速くありませんでした。ですが、SUBARUの阿久津圭司さんが出たところで2分48〜50秒に上がり、少し落ち着いてから中国電力の藤川拓也さんが出て、そこからまた動いた感じでした。渡辺康幸監督からはレースが動く時に対応できるように前の方でレースをしろと指示されていたので、その指示通りのレースを展開できて区間賞を取れました。ラスト勝負になったら勝つ気でやろうとは思っていましたが、そこまでにどれだけ余力を残せるかだったので、正直区間賞を取れたことは自分自身でもビックリしています」
逃げてしまった悔しさが奮起のきっかけに
高3の時に出場した世界U20選手権で悔しさを味わったことが、「世界と勝負したくなった」理由だと話す 【スポーツナビ】
「周りからも箱根駅伝で走るのを見たかったと言われるし、数校の監督からは熱心に勧誘されたり、『大学でやるならうちだぞ』とも言われていました。でも僕には箱根に対する思いはそんなになくて、大学へ行かないで実業団に行ってトラックで世界と戦いたいという気持ちの方が大きかったので」
現在、実業団のNDソフトで走っている兄・清也に影響されて走り始めた遠藤は、中学時代から専門的に長距離を始めた。顧問の先生には「スピードがない」と言わたこともあり、2年から3000メートルを始め、同種目で3年では全国中学とジュニア五輪で優勝。高校へ進んでも国体少年B3000メートル優勝と、同世代ではトップだった。
「世界と勝負したいと思うようになったキッカケは、高2の時に出た世界ユース選手権でした。でも本気にそう思ったという点では、3年の時に出た世界U20選手権の方が大きかったですね。世界ユースの3000メートルで5位になった時は『メダルを取る』と勝手に思って臨んだのですが、ケニアとエチオピアの選手が1人ずついた予選でレベルの違いを感じさせられて……。それで『無理だな』と思ってしまって、決勝では後先も考えずにどこまでいけるかと試したら2000メートルで止まってしまう結果でした。ただ、自分の力を発揮しての5位だったので悔いは残っていません。でもU20の5000メートルは最初から無理だろうなと思ったし、当時は高校記録(13分39秒87)も狙っていたけど、3000メートルを8分10秒くらいで通過するとそこからのきつさがすごいので。それを味わいたくなくて一杯いっぱいになる前に自分から離れてしまったところもあり、14分08秒38で13位でした。その時、レースが終わってから『ヤバイな』と思ってすごく悔しくなったんです。その時の自分の力を出し切っても勝てる力はなかったけど、自分が逃げてしまったというか。せっかくの世界の舞台で何をしているんだろうと思って……。自分が本気で変わっていかなければ世界では勝てないと思いました」