平昌パラで痛感、日本を上回る世界の進化 “王者”狩野亮、痛恨ミスで5位に沈む
期待された表彰台独占はならず
メダル最有力候補だった狩野亮だが、結果は5位と振るわなかった 【写真:ロイター/アフロ】
しかし結果は、女子座位の村岡桃佳(早稲田大)が前日の滑降に続き自身2個目となる銅メダルを獲得したものの、狩野が5位、森井は8位。日本チームは、村岡のメダル1個にとどまった。
「難易度の高いオープンのコースセットで、後半右ターンで大きく外れてしまった。緩斜面に続く大事な旗門だから、しっかりと上から次を狙いたかったのに、だいぶ落とされました」
悔しいミスが敗因と狩野が振り返る。
「そのミスがなければ、1秒、2秒は削れたと思います」
優勝したカート・オートウェー(カナダ)とのタイム差は1秒62。ミスがなければ、メダル、3連覇ももちろんあり得た。痛恨のミスだった。
“圧倒的王者”として過ごした4年間
ソチパラリンピックでは2冠を達成。チェアスキー高速系種目で圧倒的な強さを発揮してきた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
森井とともにフィジカルトレーニングに励み肉体を改造。使用するチェアスキーの構造への理解を深め、日々それこそミリ単位で調整を重ねてきた。雪上でテストを繰り返し、また調整する。そして、また雪上でベストの滑りを追求する。
そうした地道な努力の果てに、狩野は、バンクーバーパラリンピックのスーパー大回転で金メダル。さらに高速系種目に磨きをかけて、ソチ大会では滑降、スーパー大回転で2冠。翌年には、ワールドカップ高速系種目別優勝も果たした。チェアスキー高速系種目の圧倒的王者として、平昌までの4年間を過ごしてきたのである。
「この4年間で一番変わったのは、国立スポーツ科学センターをパラリンピックの強化選手が利用できるようになったこと。フィジカルデータを取り、それに合わせてトレーニングのアドバイスをくれる。それまで直接スピードにつながるパワー系、瞬発系を重視してきましたが、新たに有酸素系を取り入れることになった。それをもとに自分に合うトレーニングを構築して取り組んできました」
狩野は上半身しか強化できない。どれだけ機能的に動かせるようにするか。それがテーマだった。
「取り組んできたのは、胸椎の動き。首の位置、姿勢を常に適正に保てるようにすること。単なる筋力トレーニングだけではなく、疲れを残さずけがをしないためのセルフケアにも重点を置いてきた」
その結果、雪上で常に安定したフォームでパフォーマンスを発揮できるようになったと語る。