「みんなから応援される選手になりたい」 MGCファイナリスト第1号・前田穂南

日本陸上競技連盟

初マラソンから1年 3つのレースを経験して

北海道マラソンでMGC出場権を獲得した後、ケガもあり練習が積めない時期もあったと話す 【写真は共同】

――初マラソンを昨年の大阪にしようと決めたのはどういう経緯で?

 マラソンには、ずっと挑戦したいと言っていました。地元ということもあり、走るのなら大阪に出たいという思いがありました。

――その初マラソン、2016年のロードシーズンに入る前から脚をしっかり作っていたのに、故障があって不安を持ちながらの挑戦になったと聞きました。

 はい。あのときは、駅伝シーズンに入る前からマラソン練習をしていて、ずっと順調に来ていたのですが、駅伝前に脚が気になり始めて、その後、腓骨筋に痛みが出てしまいました。駅伝が終わってから、合宿でアルバカーキ(米国の高地)に行ったり帰国後に山陽女子ロードのハーフマラソン(1時間17分39秒で34位)に出たりしましたが全然ダメで、年末はほとんど練習ができなくて……。1月に入ってようやく練習し始めた感じだったので、走れるかどうか分からない状態で臨んでいました。

――その後、東京五輪の選考方法として、マラソングランドチャンピオンシップという新しい仕組みができました。MGCについて最初に聞いたとき、どういう印象をお持ちになりましたか?

 けっこう(な回数の)マラソンを走って、選考会に出ていかないとダメというのが、なんか大変そうだな(笑)と思いました。

――なるほど。確かに、代表になるまでには最低でも2回は走る必要がありますからね。でも、前田選手の場合、初マラソンを2時間32分台でスタートして、2回目の北海道で自己新を出してちゃんとMGCの資格も獲得し、3回目の大阪で一気に5分も更新。非常にスムーズに進んでいる印象があるのですが。

 でも、実は、今回も北海道のあと、全日本実業団のトラックが終わってからすねを痛めていたんです。だから、駅伝の前とかはちゃんと練習ができていなくて……。

――では昨年の段階では、この大阪に向けて、必ずしもしっかりと取り組めていたわけではなかったのですか?

 ギリギリなんとか間に合いました(笑)。11月からはちゃんと走れた感じはあります。

高校時代は強豪校で控えの選手 「悔しいという思いはあった」

高校では駅伝に出られず悔しい思いもあったが、卒業後は「マラソンで五輪に出たい」という気持ちで天満屋に入った 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

――そもそも陸上を始めたのは、どういうきっかけ?

 小学校のときに担任の先生から勧められたことがきっかけで、中学から陸上部に入りました。

――小学校のころから長い距離を走るのが得意だったのですか? それともかけっこ自体が得意だった?

 小学校のときは長いと思っていたけれど、今にしてみれば短い距離なのですが……(笑)。そうですね、持久走とかの長い距離が得意でした。走ることが好きでしたし。小学5年のときからミニバスケットボールを始めていて、中学ではどちらにするか迷いましたが、最終的に陸上をやることにしました。

――陸上部に入った園田東中(兵庫)のときは1500メートルが中心でしたね。3年生のときに4分40秒10で走っていますが、それが中学時代のベスト記録ですか?

前田:はい、そうです。

――全日中には出場していない? 近畿大会には?

 近畿(大会)にも行っていません。県大会には出たのですが、兵庫はレベルが高いので、全然でした。

――そして、大阪薫英女学院高に進まれました。陸上競技の名門校です。ご自宅から通っていたのですか?

 はい、通っていました。自宅は、大阪寄りの場所なので、そんなに大変ではありませんでした。

――大阪薫英女学院高は、前田選手が高校3年生のときに全国高校駅伝で初優勝を遂げています。駅伝ではメンバーに入れなかったと、いろいろなところで報道されていますが、個人ではインターハイ出場はならなかったものの、1500メートルで高校2年のときに大阪府大会2位、3年のときには大会新記録で優勝もしています。3000メートルより1500メートルが中心だったのですか?

 そうです。3000メートルはチームに速い人がいたので。

――当時の目標は何だったのでしょう? 駅伝のメンバー入り? それともインターハイ?

 駅伝に出たいという思いがありましたね。

――1つ上の先輩には大阪で優勝した松田選手が、すぐ下には高松望ムセンビさん(14年ユース五輪3000メートル金メダリスト)がいる学年でした。全国高校駅伝で優勝したときは、どんな思いだったのでしょうか?

(出場する)メンバーはだいたい決まっていたので。でも、悔しいという思いはありました。

――そこから天満屋へ進まれました。経緯は?

 最初は進学する方向で話を進めていたのですが、なかなか決まらなかったのと、陸上はしたいけれど勉強はいやで(笑)、ずっと悩んでいたんです。そんなときに先生が、「実業団に行きたいのなら、声もかかっていることだし、大学より先に行ったほうがいいんじゃないか」と言ってくださって、それで決めました。

――天満屋は、実績のある、とても強いチームですし、武冨監督は素晴らしいマラソン選手をたくさん育ててこられた方です。どんな思いでチーム入りしたのですか?

 マラソンで、世界を舞台にして戦いたい、五輪に出たいという気持ちがありました。

――最初はついていくのが大変だったのでは?

 練習内容によって、(ついていくことが)できる練習とできない練習がありました。苦手な練習かどうかで、そのきつさも違いましたね。

――前田さんが得意な練習は?

 距離走とか。けっこう長い距離を走る練習は得意なんです。

――逆に苦手なのは?

 スピード系の練習ですね。きついというよりは、スピードを出せないというか、身体を速く動かせない感じです。

――練習を積んでいくなかで、自分が強くなってきたなという実感はあったのですか?

 トラック種目ではまだ、そう思えるほど走れていなくて……。でも練習では、1年目のころに比べると、きつかった練習が少し楽にこなせるようになってきたなという感じはあります。

――拝見してきた印象では、最初はトラックのレースで苦戦していた感じがありました。しかし、社会人2年目の16年シーズンには、ホクレンディスタンスチャレンジで立て続けに自己記録を更新(3000メートル9分23秒06、5000メートル15分51秒83、10000メートル32分43秒42)しています。ただ、トラック種目よりも、もっと長い距離のほうが向いているのかなと思っていました。

 はい。ロードのほうが結果は出せているように思いますし、得意という意識もあります。

海外のレースに出て外国選手と競るレースを

まだ海外でのレース経験が乏しいこともあり、これから海外でもレースに出てMGCに向けての準備を重ねていく 【写真:松尾/アフロスポーツ】

――自分が強みだと思っていたり、人から褒められたりするのは、どういう点ですか?

 練習とかでも最後まで諦めずに粘って走れることです。

――それは昔から?

 はい、そうです。

――走ること以外でも、諦めずに粘れる傾向はあるのですか?

 けっこう負けず嫌いなところがあって、走ること以外でも負けたくないというのはあります。

――東京五輪に対しては、どんなイメージを持っていますか?

 五輪を日本でやるということで、応援してくれる人も多いのだろうなと思います。陸上だけでなく全競技について、普段はスポーツをしていなくても見る人が増えると思うので、すごく盛大になるような感じがします。

――その五輪に出場して、結果を出すために、これから何をしていかなければいけないと思っていますか?

 まだ国外でのレースに出た経験がないので、海外のレースに出て、外国選手と競るようなレースをしていきたいです。海外の選手がどういう走りをするのかとか、いろいろ経験して、それを積み重ねていき、まずは、MGCに向けてしっかりと強化していきたいと思います。

――五輪に関係なく、マラソンランナーとして、どういう選手になりたいですか?

 みんなから応援される選手になりたいですね。走りとしては、速いペースで粘れるようになりたいです。速いペースで走って、駆け引きとかにも勝てるようになりたいというのがあります。

――たくさんの経験を積むとともに、良い結果が得られることを期待しています。本日はありがとうございました。

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